2008/01/04

中央競馬の馬券師、園田に散る・・・

 「金杯で乾杯!」は競馬ファンおなじみの年始の文句。これが多くの場合「完敗」になるのだから悲しい。こんなおやじギャグのオチにならないように、今年はなんとかしたい。
 昨年は公私ともに忙しくてじっくり馬券検討する間もなく、とりあえず朝PATで馬券を買って、夜遅くVTRで競馬を観戦した一年となった。年中競馬場にいて、パドック中継のときなどはたびたびテレビにちらっと映っていた私だが、昨年は3回しか競馬場にも行けなかった。競馬仲間との情報交換も途切れがちで、「あいつはもう競馬やめたのでは?(負けすぎて)」という不穏な噂まで流れたほどだ。
 もちろん私が競馬に背を向けることなど有り得ない。忙しくても馬への愛は不変。そしてどんなに負けても、外れても、それがフツーの状態なのだから、どうってことなし。たま~に当たるあの瞬間が、しびれるほどに嬉しいのよ!!
 ところが昨年はなぜか絶好調。一年を通じてというわけではないけれど、夏場から調子を上げて(これは例年のことだが)、苦手のアイビスサマーダッシュでサンアディウを軸に万馬券をゲットしたのを皮切りに(後にサンアディウは芝短距離のエースとなる)、コンスタントに当たりを出し、夏~秋の膨大な「飲み代」を馬が全部払ってくれたのだ。
 そして秋冬にはさらなるサプライズが待ち受けていた。天皇賞(アグネスアーク軸)、JCダート(フィールドルージュ軸)、ジュベナイルフリィーズ(トールポピー軸)、鳴尾記念(ハイアーゲーム軸)と勝ち続け、年末の有馬記念もマツリダゴッホを軸に馬連で的中し、続く中京最終の尾張ステークスでトールハンマーを軸に大万馬券をしとめ、2007年の競馬を締めくくったのである。
 好調の理由は、じっくり考えるヒマがなかったこと。穴馬を買うためにはじっくり考える時間などないほうがいいのかもしれない。考えれば考えるほど、「こんなのくるわけないしね~」となってしまうからだ。
 とはいえ、そうして選んだ穴馬にも、それなりの根拠があり、その読みが当たっていたことに私は大変気分を良くしているのである。このブログは競馬サイトではないためその理由についての長ったらしい「論述」は避けるが、ともあれ、私は一挙に「中央競馬炎の馬券師」になったような気分になったのだった。

 私の快挙を知る身近な友人が、有馬も終わり、金杯までのさみしい休暇中、「競馬つれてってよ」と言い出した。競馬などまったく知らないこの友人が、中央競馬が金杯の日までないことなど知るはずもない。ならば地方競馬に、ということで、年末二人で園田競馬場へ行くこととなった。
 私は「中央競馬の馬券師」として、競馬に無知な友人に様々なことを教え、専門紙を買って研究し、狙えそうな馬とそうでない馬とを事細かにレクチャーした。Pepiteさんと来てよかった!と思ってもらいたかったし、なによりも、格の違いをみせつけたかったのだ。
 ところが!ありがちなことではあるが、私が長年つちかってきた予想理論と競馬における直感とを駆使して選んだ馬たちは凡走し、そしてこれぞ隠れた実力馬と思われた人気薄は人気通りの着順に収まり、私は面子を失いかけていた。「あの子、目がかわいい~」という適当な理由で友人が選んだ馬ばかりが激走し、友人は勝ちまくり、私は1勝、しかも唯一の当たり馬券は2倍台のガチガチ。これではしめしがつかないと焦る私の口から漏れる言い訳の数々を、連勝で舞い上がった友人はもう聞いていなかった。パドック行こうよ~!と、私の手を引き、さらに勝ち馬を見つけ続けるのだった(神秘的な基準で)・・・・。
 こうなったら一発大逆転しかない!私はメインレースで密かに大勝負に出たのだった。
 パドックで、「あの子と目が合った!」と喜び、その馬のゼッケンを確認してマークシートを塗りつぶす友人。ああ、競馬はそんなに甘いものじゃないぜ!ここで本物の馬券師の腕を見せてあげよう!と、距離適正、馬場適性、そしてタイム、馬体の仕上がり具合からみて私は一頭の馬を選び出した。ほぼ完璧と思われる予想の末馬券を買った私は、内心ほくそえんでいた。
 レースが始まり、私の本命馬は4番手を進む。絶好の位置取り。勝負どころで前をとらえ・・・なのに、私の弾む胸とは裏腹に、一向に前をとらえる気配がない。「ちょっと、早く行ってよ!!直線短いんだよ~、(ここで馬の名前を叫ぼうとしたが、思い出せず、番号を連呼した)、行け!行け!私の有馬の儲けはどうなるのよ~~」・・・・私の悲鳴に応えることなく、本命馬は4番手のまま、前とは絶望的な距離を保ち続けてゴールしたのであった。
 次の瞬間、「また当たった~~!!」と歓喜の叫び声が私のとなりであがった。

 「馬を番号で呼んだことなんてないよ」と、私は言う。「中央競馬の馬なら、少なくともオープン馬なら、知らない名前なんてないしね」と、慣れ親しんだ中央なら、決してこんな結果にはならなかっただろうということを、私は暗にほのめかした。
 しかしそんなほのめかしは友人に何の影響も与えなかった。「走る馬は目を見たらわかるの。キラキラした目の子ばかりが今日は走ったんだから!」と、その恐るべき的中率を誇る予想の秘密を教えてくれたのだった。
 傷ついたプライドと軽くなった財布にふさぎこんだ私を、師走の凍てつく寒さが襲う。かくして中央競馬の馬券師は園田に散ったのであった。
 戦いは終わり、無口な私とは対照的な友人は、競馬によって知った嬉しい興奮とその報酬に酔いしれていた。普段は行かない高級なすし屋に入り、友人は園田での喜びを、私はかつて栄光をつかんだ数々のレースの思い出話を(毎度おなじみの)繰り返し、その後のあっと驚く会計は、馬券師の威厳を保つため、悲しくも私が引き受けたのだった・・・・。

 金杯当てるぞ~!!

 皆様にとって2008年が良い年でありますように。
 今年もよろしくお願いします。

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2007/11/30

Pepiteの美的な日々:ホーチミンのタクシー

Img_3097  この秋の休暇を、ベトナムのホーチミン市で過ごした。バイクがうようよ走る街の喧騒にいささか疲れを覚えたが、料理はおいしかったし、買い物嫌いの私でもキッチュなベトナム雑貨を見て回るのは結構楽しかった。
 旅行前、ホーチミンを知る友人たちから、「タクシーだけは気をつけて」(ぼったくられるから!)としきりに注意を受けた。ベトナム旅行のサイトにもそんな書き込みがたくさんあったので気を引き締めて挑んだが、滞在中一度もそんな事件は起こらず、むしろホーチミン市の道路を知り尽くしている優秀なドライバーたちに感心したほどだった。
 市内の移動にはほとんどタクシーを使ったので、何度乗ったか数え切れないほどだが、どのドライバーにも不正の臭いはまったく感じられなかった。たまたま運がよかったのか、それとも「ぼったくり」は大袈裟な噂にすぎないのか、と思っていたとき、同じホテルに滞在していた日本人のグループが、少し離れた朝食のテーブルで、タクシーでひどいめにあった話をしていた。やはり、そんなことも普通にあるのかと認識し、ではなぜ、私はまったく被害にあわないのかと考えてみた。その答えははじめからわかっていたような気もするけれど・・・・。

 回りくどい分析の必要はないのでズバリ言うと、私はちっともお金持ちに見えないからだ(見えないだけでなく、事実そうなんだけど)。タクシーでぼったくり被害にあったという方たちは、その容姿や物腰に先進国の裕福な感じが染み出ていたからで、この人たちから少しくらい余計にもらっても、どうということはないだろうと、悪意のドライバーは思ったにちがいない。それに引き換え、私は現地の人たちに限りなく近いイメージ。あくどい輩は獲物の質を正確に見抜けるもの。こりゃダメだという判断が下され、無事に下車できたというわけだ。(あくまで私のケースでは、という条件付きでなので誤解のないように)。
 ホーチミンのタクシーで不愉快な思いをした人はたくさんいそうだが、私はまったく逆の経験をここに記しておきたい。それは、ホーチミンを去る前の晩、出先からタクシーに乗ってホテルに戻ったときのこと。料金を払おうとして財布の中からベトナムドンの紙幣を取り出したとき、所持金がタクシー料金に不足していることに気がついた。ホテルの部屋に戻ればきちんと支払いできることをドライバーに伝えようとしたが、英語がまったく通じない。身振り手振りでどうにか意思表示を行ったが、ドライバーは困った顔をするだけで、わかってくれない。不足があることを伝えるために、手持ちのお金を渡し、数えてもらった。すると彼は「OK、もういいよ」というふうに私に下車を促した。車外に出た私は、ここで待っててとと訴えた。それには及ばないと、手を振ってドライバーは去って行ったのだった。
 友人にこの話をすると、「もともと遠回りされてたからじゃない?」と懐疑的だったが、その乗車区間は滞在期間中乗りなれた一本道のごまかしようのないもの。悪名高いベトナムのタクシー。それが事実だとしても、私が体験したような、やさしいドライバーもいるということを是非とも知っていただきたい。

 ベトナム旅行のアルバム

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2007/06/16

満足度120%!

二度目の神戸花鳥園

Img_2971  6月1日、このブログにも何度か登場した小さなたえちゃんと、神戸花鳥園を訪問。去年の4月に訪れて以来、2度目の花鳥園で鳥たちと遊んで来ました。
 急な思いつきで行くことになったため、遅いスタートとなりましたが、短い滞在時間でも、満足度は120%!愛鳥家にはおすすめの施設です。
 この日は、ふくろうのショーを観て、オオハシを肩に乗せ、園内の小鳥ショップのインコと遊び、生まれたての小鴨をだっこして、水鳥にエサをやるというコース。

 花鳥園到着が遅かったため、ふくろうのショーは終わりのほうしか観られなかったけど、このショーの後に、さらなるお楽しみがあるのです。希望者はふくろうと一緒に記念写真を撮ってもらえます(カメラは持参)。もちろん、触れることもできます。ふくろうを腕に乗せると500円かかりますが、写真とナデナデだけなら無料。
 去年花鳥園を訪れたときには、インコばかりに目がいって、ふくろうにはほとんど注目しなかったのに、今回は、ワシミミズクのアラシちゃんに一目惚れ。正直なところ、今まであまりふくろうは好きではなかったんだけど(無表情に見えるし、おっかないし)、アラシちゃんのかわいさにそんなイメージも吹き飛んで、いきおい大幅な好感度アップとなりました。なんせ、美形なんです。アラシっていう猛々しい名前から、勝手に男の子と思い込み、私のふくろう王子様になりかけたとき、女の子であることが判明。まあ、どっちでもいいんだけど、ともかくかわいいのですよ!
 これがそのアラシちゃんです↓

  Img_2951

 ふくろうにバイバイして、お次はオオハシ。くちばしが大きく、ユニークな姿をしています。前回、大きなくちばしを器用に使って私の手の平にのせた果物をソフトタッチで食べてくれたのが忘れられず、オオハシとの触れ合いを楽しみにやって来ました。
 前に花鳥園を訪れたのは開園して間もない頃だったので、鳥たちがまだ十分に環境に慣れていなかったのか、とっても控え目な接し方でしたが、今ではすっかり慣れきっているようで、私がエサの入った小さなカップを買うと(1カップ100円)、すぐに腕に止まりに来てくれました。
 そこで私が細かく刻んだ果物を口の小さなカップから取り出すのに手間取っていると、短気なオオハシが「はやくしてよ!」と言わんばかりに、あのどでかいくちばしで私の手にがぶりとかみついたのです。結構痛かった・・・。しかし愛鳥家はこの種の痛みに強いものです。ワシにつつかれでもしない限り、愛は痛みを超えます。
 オオハシのごっついくちばしは空洞で、軽く叩くと、ポンポンと、まるでプラスティックのような音がします。見た目とは裏腹に、結構安っぽい感じがするのがおもしろいところです。

  Img_2965_1  Img_2977

 オオハシとの戯れは後ほど動画で観てもらうことにして、お次は水鳥たち。生まれたばかりの小鴨がいて、これがまた超キュート!ふわふわの小鴨を抱かせてもらえます。

         Img_3026  
 
 だっこすると、小鴨の心臓の音がドクドクと手の平に響き、小さな命が自分の手の中にあることを実感します。この水鳥のコーナーでも100円でカップ入りのエサが売っています。これさえあれば、鳥たちの人気者になれること間違いありません。
 さて最後に、花鳥園の楽しさをダイレクトに伝えるため、動画を用意しました。オオハシ、モモイロインコ、水鳥との触れ合いを収めていますので、是非ご覧ください(1分53秒)。
                       ↓↓↓
                 「birds2.wmv」をダウンロード   

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            ★

 花鳥園を訪れた記念に、園内のショップで、ハチドリをあしらったステンドグラスを購入しました。これがまたすごくかわいくて、とっても気に入っています。
 
 
 
 
                                                ★★★★★

サイト内の小鳥記事:小鳥を愛する私の悲劇
             小鳥を愛する私の悲劇2
             嫌われた贈り物
             サイと虎と小鳥たち
             プランタン(春)

 

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2007/05/28

Pepiteの美的な日々:生きてます。

 みなさんこんにちは。久しぶりの更新です。別のところで専門性の高い原稿の執筆に追われております。病気、失恋、自殺、万馬券を当てて旅行中と、様々な噂がまわっていたようですが、この通り、ワタクシは健在です(残念ながら万馬券も当てておりません)。
 私の沈黙を心配して電話をくれた友人によると、この間にささやかれた私の噂は、概ね不幸な内容だったとか。陰気臭い私ゆえ、それも納得ゆくわけですが、少数派の推理、すなわち私の幸運を想像してくれた友人は、なぜか皆、私のHAPPYを「馬」に結び付けて考えたようです。馬といっても、この場合は私の趣味である乗馬ではなく、私の生きがいである競馬のこと。まるで私の喜びが、競馬以外では存在しないとでもいうように・・・・。

 しかしそれもまあ、半ば当たっているわけなので、苦情は言いません。ともあれ、心配してくださった皆さん、ごめんなさい。携帯電話の修理中にメールを下さった方がいたとしたら、返信できずにすみません。ともかく、生きていますので、ご心配なく。(またメールください)。

Img_2909_2  先週の木曜日、やっと時間ができたので、久々に乗馬苑に行ってきました。仕事を終えた馬たちにニンジンをあげてナデナデし、癒しの時間を過ごしました。
 やっぱり私にとって、馬はかけがえのない愛する存在。とくに最近のように疲れている場合にも、馬に乗り、いえ、馬に触れるだけで、心身の負の部分をリフレッシュできるのです。
 そのうち北海道で催されているらしい乗馬のエンデユランスの大会に挑戦してみようかと、最近考えています。馬と共に長い距離を駆け抜ける、人馬一体の感動を味わいたい、そんな思いで。

 この日はローズガーデンにも行ってきましたので、その映像を載せておきます。今日はまともな記事になりませんでしたが、とりあえず私が生きていることをお知らせし、「美的なもの」がまだ終わっていないと示すことを、目的としました。今の多忙な生活から解放され、そのうち再開する「悲劇のコレクション」に期待してください。

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2007/03/29

Pepiteの美的な日々:サイと虎と小鳥たち

Img_2715  3月23日、大阪天王寺の市立美術館で催されていた展覧会へと、必要があって出掛けた。この展覧会については何も語る言葉を持ち合わせないので割愛することにして、その後隣接する天王寺動物園へ遊びに行くことにした。
 私はこの動物園を年に2回は訪れる。目当てはクロサイ。どことなく恐竜を思わせる姿(例えば、トリケラトプス)、そして愛嬌のある顔立ちがとてもかわいい。天王寺動物園のクロサイに一目ぼれして、時折思い出しては会いに行くのである。
 岩陰から顔を出し、きょとんとした目で私を(?)見つめるクロサイ。これはもうたまらない!! このかわいさには抗えない。というわけで、メロメロ。家ではわがままな愛鳥に憎たらしい目でにらまれることの多い私にとっては、癒しのひととき。長い時間ひたすら熱い視線をおくり、何度も大声で呼びかける私のことを、クロサイは不思議に思ったにちがいない。

                          ★

Img_2734_3   そして次なるお目当ては虎。私は虎が動物の中で一番かっこいいと思っている。精悍な顔立ち、しなやかな身のこなし、威厳にみちた姿、どの角度から見つめても完璧。子供の頃、私は将来虎のお嫁さんになるだろうと本気で信じていた。それだけに、虎への思い入れは強く、その姿を見つめるだけで、或る種の感動が胸に沸き起こる。それは、神様はこんなに美しい生き物を創造したのだという畏敬の念だ。ならば私のことも、もう少し美人に生まれつかせてくれてもよかったのに、という軽い嫉妬を感じはするけれど・・・・。
 しかし、この日の虎は私のそんなイメージをいくらか裏切ることになった。虎のもとを訪れたのはちょうど食事時。飼育員さんが餌を持ってやって来るのをそわそわして待ち焦がれる虎。その時、虎を眺める私の背後を飼育員が空の台車を転がして通り過ぎて行った。虎からはその飼育員も台車も見えないはずだが、台車の車輪が転がる音に虎は敏感に反応し、あわててその音のするほうへと駆け寄って来たのだった。餌がいつも台車にのせられて届けられるのだろうということが、誰から聞かなくてもよくわかる一場面だった。遠ざかる台車の音を、クビを伸ばして悲しげに追う姿は、まるで餌をねだるにゃんこ。威厳も何もあったもんじゃない!

 サイと虎に時間を費やしたため、あとは駆け足で動物たちを見て回った。けれども好きなシロクマのところに辿り着く前に閉園時間になってしまった。こんなことなら、あの展覧会での鑑賞をさらに足早にすませるべきだったと悔やまれた。
 ともあれ、動物たちの様子を動画に収めたのでご覧ください。

      「zoo_0001.wmv」をダウンロード

Img_2776_1   動物園を追い出された私は、次に小鳥ショップに向かった。そこで売り物のヒインコやビセイインコと長時間戯れ、小鳥屋の商売を邪魔したお詫びに、愛鳥CapiとBrunoへのおみやげを買った。アスレチックハウスという名のおもちゃ(左の写真)で、フックを鳥かごの天井に掛けて吊るしておくと、それに鳥が飛び乗って遊ぶというタイプのもの。
 すでにうちの鳥かごには同じようなおもちゃがあった。それはロープに鈴がついたもので、Capiはよくそのぶらさがったロープにとびついて、ちりんちりんと鈴を鳴らして喜んでいる。だからきっとこのアスレチックハウスも気に入るはずだと、胸を弾ませ購入したのだが、形態がゴツゴツしすぎているせいか、怯えてまったく近寄ることがなかった。
 このような失敗は数え上げればきりがない。愛鳥たちに嫌われたおもちゃが押入れの中にいくつも転がっている。その数々のおもちゃには私だけの思い出があり(無論、鳥たちには何の思い出もない)、購入時の胸のときめきを、そのひとつひとつについて、今でもむなしいほど鮮明に思い出すことができる。

 最近の失敗の中で特に残念に思えるのは、アウターバードバスという名のフード付きのImg_2777_1 水浴び器が無視されたことだった。半透明のプラスティック製なので水浴びの姿が観察できるというのが売りの品物で、しかもフードがあるため水が飛び散らないという利点もある。なによりも私の気を惹いたのは、この製品の外箱に印刷された白文鳥の水浴び写真だった(左の写真)。すっぽりと器におさまり、体半分水に浸かった白文鳥を見て、私はただちにこれを愛鳥Capiの姿に置き換えて、そのかわいらしい図に胸を打たれ、目に涙を浮かべ、ほとんど泣き出しそうになりながら、レジへと走ったのだった。
 だが、私のそんな思いとは裏腹に、鳥たちはこの水浴び器を完全に無視し続けた。しつこく粘る私の様々な作戦もまったく効果なく、アウターバードバスもまた、数週間後には、むなしく押入れの住人となったのである・・・・・

                      Capi
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                        ★★★  

Img_2771  ついでにグルメ情報。前述の小鳥ショップを出た後、天王寺で食事をすることにした私は、時々立ち寄るアジア料理のお店「遠東」へと向かった。正しい名称は「ファーイースト」、つまり漢字名の直訳というわけだ。
 ここの料理はボリュームがあって、おおむねどの品もおいしい。グルメ記事を書いたことがない私ゆえ(専門は美的な悲劇の文学だから)、料理の詳細を記すことはできないが、せめてこのお店への道案内くらいはできそうだ。
 JR天王寺駅から、近鉄百貨店のある側の阿倍野筋を南に向かい、「遠東」の看板を見つけた所で、その筋を左折し、1分ほど進めば左上の写真のお店に到着。結構人気なので、満席であることもしばしば。
 ここでしっかりとおすすめのメニューを示したいところだが、この店ではいつも酔っ払いになる私の記憶は定かではない。そのあやふやな思い出に従えば、アボガドとクリームチーズのサラダ、鶏肉とナッツの炒め物(なにやら難しい名前のついた料理)、それからフォーが、一応おすすめ料理。
 お酒の種類も豊富で、めずらしい混合酒の数々を味わうことができる。そのせいで、私は酔いどれ人になってしまうのだ!
 皆様も機会があれば、お試しください。
                  Img_2772

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2007/03/09

Pepiteの美的な日々:ほほえみが多すぎる?!

 早春の白川郷を友人と二人で訪れた。白川郷は岐阜県大野郡萩町の合掌造り集落で、平成7年12月にユネスコの世界遺産に登録されている。
 白川郷の案内は公式サイトやガイドブックにおまかせすることにして、ここでは私たちの小旅行を大いに盛り上げた、とある発見を皆様にも紹介したい。

 合掌造り集落の最大規模を誇る和田家を訪問し、この地の人々の生活様式を物語る民具などを見学した後、空腹を感じた私たちは、白川郷の中心を走る本通りで、おいしいものを食べさせてくれそうなお店を探していた。
 ひとまずみたらし団子を買って、串を片手にふらふら歩いていると、視力の優れた友人が道脇の祠(ほこら)にふと目をとめて、「何、あれ?」とつぶやいた。そして私を置き去りに急ぎ足で祠に近づいて行った友人は「ぎょえ~、気持ち悪い~」と叫び声をあげたのだった。
 みるとそこには、数え切れないほどの「ほほえみ」が・・・・。

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 「こわい~、きもい~」と騒ぎながら、顔の数を数えたり(途中であきらめた)、写真を撮ったりした私たちだったが、祠の石に書かれた説明を読むと、「良縁、長寿祈願のほほえみ祠(お賽銭は地球環境保全のために用います)」とあり、不気味とはいえ、なにやらありがたい神様であることを遅まきながら知ったのだ。
 長寿はともかく、良縁祈願の友人と私はひどいことをさんざん言った後だったので、バチが当たるのではないかと古めかしい恐れを抱き、「でも、別に悪い意味で言ったわけじゃないし・・・」と、良い意味に転換させるのがおよそ不可能な言葉の数々を悔やむのだった。
 「よく見ると、ありがたいね・・・」と友人が無理につぶやき、私もそれに同意して、元の散歩に戻った。
 遅い昼食をとった後、満腹のためか現実感覚を取り戻した私たちは、先程の古風な恐れから解放され、「あんなにほほえまれてもねぇ。こっちは何もいいことしたわけじゃなし」と、再びほほえみ祠の悪口で盛り上がるのだった・・・・・。

                         ※

 白川郷のレポートがこれだけでは、世界遺産の地に対してあまりに失礼なので(笑)、今回の旅行で撮ったフォトアルバムを添付します。山里の美しい景色をご覧ください。
 ついでに3月3日に訪れた「兼六園」のアルバムも載せておきますので、こちらもどうぞ。(サイドバーの「マイフォト」からも見ることができます)。

               白川郷

               兼六園
             

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2007/03/05

Pepiteの美的な日々:プランタン(春)

 春は一番好きな季節。去年も同じことを書いたけれど、冬眠から目覚めた私は、アクティヴな日々を過ごすことになりそうです。
 実のところ、暖冬のせいで、春の訪れにいつものような胸躍る感じはないのだけれど、まあそれはそれとして、しっかり今年も楽しみたいものです。
 昨年同様、「悲劇のコレクション」は少しの間お休みにして(いっそやめたら、と思われそうですが)、根暗な私がやたら活発になるこの季節のレポートを綴ってゆくことにします。
 昨年は花見、乗馬、釣り、花鳥園訪問などの記事を皆様に読んでいただきましたが、今年もまた、私の野外活動にお付き合いください。

梅見

Img_2491  梅の花が好きな私は、毎年どこかで梅見をするのだが、今年は何かと忙しく、遠出もままならず、近所の大阪城公園の梅園へと出掛けることになった。
 そして、花盛りを過ぎた梅園にガッカリ。仕方がないので梅の花の蜜を食べにきた小鳥(メジロ)たちを眺めて(ああ、かわいい!)、我が家の愛鳥Capiなら、梅の花びらを噛み散らすのにどれほど夢中になることだろうと、風情のない想像をめぐらせた。
 いろんな種類の梅があり、中にはこれから咲くものもあるかもしれないが、ともかく私が行ったときには(3月1日)、遅かれ早かれ時期外れであったことは間違いない。

Img_2497  売店で五平餅を買って食べ、ついでに隣で売っていた白酒を飲み、口直しにビールを飲み、はずみがついてもう一杯という感じで、いつものように酔いどれ人への道を半ば進みかけたものの、この日は友人と夕方からピカソ展に行く約束があったので、どうにか軌道修正をした。
 梅園を出るところで、大阪では有名なインコ(マメコバタン)のジャッキーに出会った。大阪の愛鳥家ならご存知の方も多いジャッキーは芸達者なかしこいインコ。飼い主のおじさんが指でピストルを真似て「バ~ン!」と言うと、コロンと倒れてみせたりする。以前はよく梅田の歩道橋で芸を披露していたが、季節柄こちらに移動してきたのだそうだ。

Img_2500_1   ここでもジャッキーは大人気。大勢の人に囲まれ、頭をナデナデされてごきげんな様子だった。私は最前列でジャッキーを触りまくり、一緒に写真を撮ってもらった(左)。
 大阪城公園を出て、ピカソ展へ向かう間、ジャッキーの羽毛の感触を何度も思い出しながら、家で留守番をしている私の小鳥に、さっきバイバイしたばかりなのに、また会いたくなった。

                        ★★★  

大阪城公園の梅園

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2007/02/08

Pepiteの美的な日々:気の利く店員

 ここ数年仕事の関係でお世話になっている美人の友達の誕生日が間近に迫り、おしゃれな彼女へのプレゼントを何にしようかと悩んだ末、アクセサリーを贈ることにした。
 といっても、読者はすでにご存知のように、私のようなアウトドア系野生人に、垢抜けた美人へ贈る装飾品など選べるはずもない。
 そこで私が頼るのは、いつものように親友の mimi ちゃん。この手のことは mimi に任せておけば、まず間違いないのである。
 さっそく相談をもちかけると、「あのひとはいつも・・・・系の感じのものが多いから、・・・・なんかが似合うんじゃない? まあ、・・・・もいいけど、洋服の感じからは・・・・のほうが合ってると思うよ」と、何やら難しい分析をして、ファッション雑誌のページをめくり、いくつかの例を指し示してくれた。
 そうでございますか mimi 様、すべてあなたにおまかせします! と、私はひれ伏して、二人で買い物に出掛けることなった。

 いつもはエスカレーターに向かう通路に過ぎないデパートの一階の気取った店舗の中に足を踏み入れ(未開の地のジャングルに踏み込むほうが私にはずっと似合うだろう)、mimi のリードに従って、品物を見て回った。どの店でも、私を客とみなして接してくる店員はいなかった。お客様はあくまで mimi であり、私などはまったく重要でない場違いな付属物のように無視された。(この日は野外スポーツの後着替える時間が無く、私が普段に増してくたびれた服装だったことも関係したはずだ)。
 mimi と店員の会話が弾み、蚊帳の外で退屈していた私が違うコーナーへ一人でふらふらと足を向けると、別の店員が寄ってきて「プレゼントをお探しですか?」と、感じの良い口調で訊いてきた。店員の言うとおり、確かに私はプレゼントを探しにやってきたわけだが、このおねえさんには、私が自分の買い物をするために来ているのかもしれないという考えは、まったく浮かばなかったようだ。
 おねえさんの言葉にうなずくと、「どういった感じのものをお探しですか?」と続けられ、私は mimi から聞きかじりの言葉のいくつかを自信なさげにつぶやいた。
 「だったら、これなんかどうですか?今限定品の・・・で、雑誌でも人気があるし、・・・・風だからどんなお洋服でも・・・・で、無難だしお洒落だし、これなら・・・・・ですよ(等等)」と熱心に語りながら、候補の二つの品物を見せてくれた。
 それがはたして友人へのプレゼントにふさわしいものなのか、私にはわかりかねたが、こうも真剣に考えてくれている店員に対して、すげない態度をとるわけにもいかず、この場を逃れるには、何か小さな(安価な)ものでも買うほかないだろうという気持ちになりはじめていた。
 助けを求めるように mimi のほうを見ると、彼女は鏡の前で自分の首に売り物のネックレスをつけて、店員とおしゃべりを続けていた。いつのまにか自分自身の買い物に移行していて、私のことなど忘れてしまっているにちがいない。
 私を捕獲した店員は、いまや最後の一押しという感じで勢い込んできた。友人へのプレゼントはもう一度友人に好みを確かめてから選びます、と言えばいいだろうかと私は考えた。そしてこの場を逃れるために買わなければならない品物として、少なくともこの店では一番低価格でありそうなキーホルダーしかないだろうと思うのだった。私の部屋の鍵につけたキーホルダーはずいぶん古いし、無駄な買い物というわけではないと、自分に言い聞かせながら。
 だが、すんでのところで mimi が間に合った。さっと私の腕を取り、「他に考えているものがあるので、後でまた寄ります」と、手際よく店員をかわし、次の店へと向かった。
 そこでようやくプレゼントを買うことになったのだが、mimi と店員のやりとりの終わりあたりで、「これでいい?予算は大丈夫?」と私に問いかけた mimi の言葉で、本当の購入者の存在に気づいた店員は、「どうですか?」と、はじめて私のほうを向いた。
 私がその品物について何かを(何だったか忘れたが)質問すると、その内容が店員にはおかしかったらしく、mimi と目を合わせて笑い、二人の間に親密な連帯感のようなものが生まれたことが、私にはなぜかはっきりわかった。
 支払いを済ませ、きれいに包装された品物を、さらに紙袋におさめる時、店員が私に話しかけてきた。
 「今、・・・万円以上お買い上げのお客様には、非売品のオリジナル装飾品を贈呈していますが(と、アンティークな手鏡のようなものを差し出して)、このおまけはプレゼントに一緒に入れておきます? (その後店員は視線で mimi を示し)それとも、彼女のほうに?
 私がおまけをもらうという選択が最初から排除されていることに驚きを感じはしたが、私はすぐにもこの二者択一の答えを出さなければならなかった。mimi が黙って私を見つめ、決断を待っていた。
 「それじゃあ、彼女のほうに」
 もちろん、そう言う以外にはないだろう。

 こうして買い物を済ませると、店員は二度と来ることがなさそうな私より、次には自分の買い物で訪れてくれそうな mimi に余計に愛想良くして、私たち二人を見送った。
 「感じのいいひとね」と mimi が言った。
 「そう?」
 「気が利くわ」
 「そうかな・・・」
 それから私たちは新装オープンのカフェで軽い食事をして(そこでも mimi は記念品をもらい、ついでに私の分も奪い取り)、仲良く家路についた。
  

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2006/12/24

Pepiteの美的な日々:一目ゴム編みの世界

 このブログにも何度か登場した私の親友 mimi は毎年秋頃になると編み物を始める。その腕前はプロ級で、凝ったセーターやマフラー、帽子などをいくつも編み上げて、時折は私にプレゼントしてくれたりもする。付き合いが長いだけにその数も今では数え切れないほどだ。とりわけ帽子好きの私が冬の間に被っているニット帽はすべて mimi のお手製だと思って間違いない。
 編み物をする mimi の、器用によどみなく動く指先を見つめるのが私はとても好きだ。そんな時、日常の関わりでは感じたことのないような彼女に対する尊敬の念が、胸に広がってゆく。いつもなら、世間知らずでわがままな mimi に対して、保護者のような役割を演じているつもりの私だが、よく考えてみると、私は何かと理屈っぽく偉そうにしているだけで、実際に mimi の役に立つシーンなどほとんどないことに気づくのだった。
 それに引き換えmimi のほうは、寒がりの私を思ってニットを編んでくれたり、いい加減な生活を送る私の日常の面倒を細々と見てくれ、病気の時はいつも看病してくれる。mimi に対して、私が何か彼女が知らないような知的なことを言って気取る時でも、彼女は少しも私を尊敬したりなどしない。mimi にとって私は、ほったらかしにしていればゴミ溜めの中ででも生活しかねないだらしない人間で、年中風邪をひいては「保護」を求める、弱い子供に過ぎないのかもしれない。

 家が近いこともあり、私たちはよく一緒に過ごす。もっか専業主婦の mimi は大抵家にいるので、私の突撃訪問を避けることが難しい。休日に遅く目覚めておなかが空くと、私は彼女のうちに出掛け、何か作ってよと甘える。mimi は文句を言いながら、手際よく私に食事を提供する。先日などは、我が家に遊びに来たダーリンのごはんを作るのを面倒に感じた私は、二人して mimi の家に遊びに行くことを提案し、しっかりとごちそうになった。
 私にとって mimi はなくてはならない親友であり、互いに信頼しあえる、そして何の駆け引きもない愛情を互いに抱くことの出来る、大切な存在だ。変わり者で、人に理解されにくい私のことを、彼女は独自のやり方で理解する。言葉巧みな私は、時に対人関係において、うまく何かをごまかしたり、言い逃れたりするのだが、mimi に対してだけは、どんな「嘘」も通用しない。彼女は即座に私の心を見抜いてしまう。
 「Pepiteの興味をひくややこしそうな事柄はあたしにはわからないけど、Pepite自身のことなら、あたしは誰よりもわかっているつもり」と、mimi は言う。そして本当にその通りだと感じるから、mimi には頭が上がらない。

 この時期彼女を訪ねると、編み物をしていることが多い。毛糸を指にかけて、器用に編棒に絡ませるかっこいい mimi を見ていると、身の程知らずにも、私にだってできるのではないかという気になった。絶対にやめたほうがいい、という mimi の忠告を無視して、私はこの冬、マフラーを編むことを決意した。
 下手さ加減が目立たぬようにまだら色の毛糸を選び、編棒は mimi のものを借りることにした(買う必要はないと彼女はなぜか断言した)。
 はじめは細い棒で細かい目のマフラーを編んでいたのだが、これでは出来上がるまでに2年はかかるという mimi の見立てにしたがって、太い編棒を使い、一目ゴム編みという編み方でやり直すことになった。
 このときすでに30センチほど編んでいたマフラーは、mimi の手により素早く解かれ、私はそのせつない図を涙をこらえて見ているしかなかった。わずか30センチとはいえ、そこにたどり着くまでの苦労は、並大抵のものではなかったのだ。一段編んでは目を落としていることに気づいてやり直す。そのたびに毛糸はどんどん波打つフォームに変化する。ちりちりの編みにくい糸のせいで目が見えにくく、逆に編んでしまったり、あるいは緊張のためか力を入れすぎてぎしぎしになり、編み目の輪が棒にきつく巻きついて、まったく動かなくなったりもした。
 性格の悪い私はそれらを mimi の教え方のせいにして癇癪を起こし、「だから最初からやめたほうがいいって言ってるでしょ!」と、mimi も怒りを爆発させ、険悪ムードになることもしばしばだった。
 そんなとき、私は編み物を放り投げて、何か別のことをした。本を読んだり、テレビを観たり、食事をしたり・・・・・。しかししばらくしてまた編み物をそっと手に取ると、それに気づいた mimi は心の底からおかしそうに笑い、やさしさを取り戻して、この出来の悪い生徒に再び指導をはじめるのだった。
 一目ゴム編みに変わっても、私の失敗のほうは変わらず、いやむしろ糸を二本取りにしたことから余計に失敗が増え、苛立ちと失望の連続となった。しかし、私は一旦決意したことを途中で投げ出すタイプではない。私のこんな性質が、この場合、mimi にとってはいかに迷惑であったかは知る術もない(?)。
 編み物をしながら、mimi を真似て鼻唄でも歌おうものなら、私はたちまちミスをしてしまう。単純な繰り返しの作業ゆえ、手は機械的に動き、頭は別の世界を浮遊するなんてことは、普通の人にとってはたやすいことなのかもしれないが、私のようなベテランの夢想家にはそうはいかない。私の頭が空想の世界に遊ぶとき、現実は置き忘れられ、というか、すっかり忘れられ、ありもしない時の流れの出来事の中に私は生きることになるのだ。そうすると、現実の編み物がどうなるかは、あえて言うまでもないだろう。
 だから私はひとつひとつの編み目をこしらえるのに、絶えず精神を集中させなければならなかった。この単純作業に対する逃げ道(普通の人なら楽に得ることの出来る)が、私には与えられなかったのである。
 一日の多くの時間を夢想に費やす私が、こうして自分のスタイルを変え、長すぎる時をかけてようやく仕上げた一目ゴム編みのマフラー。私にとって、この一目ゴム編みの世界は、ひとえに、現実の直視を意味する。不恰好な編み目がひとつひとつ成り立っていくのと同じように、私という存在が現実に編み込まれる。
 私はこれほど現実と生真面目に向き合ったことはないのではないかという気持ちになった。根暗な私が、むなしく味気ない現実から逃れるために用いる常套手段を遠くに追いやって、ただひたすら、折り合いの悪い現実だけに向き合ったのだから。私にとって有り得ない世界が、こうして展開したのだ。

 完成したこの作品は、mimi かダーリンに贈るつもりでいたのだが、二人は口をそろえて、「こんなに苦労したのだから、自分で持ってるほうがいいよ」と言った。そして、完成品を感動の目でうっとりと見つめる私に mimi が言った。「Pepite、よくがんばったね。おりこうさん。一日だけそのマフラー私に貸して」と。
 そうして翌日私が我が子を迎えに行くと、「少しでも見栄え良くしようと思って洗ってみたんだけど、そんなに目がそろわなかったわ」と、mimi は残念そうに言うのだった。
 だからなんだというのか。これは単なるマフラーではない。私を現実に固くつなぎとめた類なき存在で、その意味は今や私にとって哲学的なものですらあるのだ。
 二人に拒まれた私の秀作だが、私自身もまた、これを首に巻いて町を歩こうとは思わない。実用的でも観賞向きでもないこの作品は、我が観念に彩られ、今は大切にガラスケースに収められて、私の書斎の片隅に飾られている。このむさくるしい部屋を訪れる陰気な(?)人たちを、大いに笑わせるという役割を演じながら。

                       ★★★

Photo20  MERRY CHRISTMAS !

 この2006年に、読者の皆様とこうして共に過ごす時間を持てたことを、とても嬉しく思います。「悲劇のコレクション」では、私の好みにしたがって、僭越ながら偉大な芸術家たちの作品を紹介させていただきました。私が感じる悲劇の美を、少しでも皆様に伝えることができたなら幸いです。そして「Pepiteの美的な日々」においては、時にワタクシゴトの馬鹿げた記事を載せましたが、それすら皆様が楽しんでくれたものと勝手に期待します。
 もうじき訪れる2007年が、皆様にとって幸福な一年となることを、心より願っています。そして2007年も、ふと思い出した時でかまいませんので、私のサイトを訪れみてください。
 
感謝を込めて

2006年12月24日

Pepite

       

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2006/12/08

山中淳子展「よるのいろ」@galeria CERO

Junko1_2  私の友人で、大変魅力に溢れる美人画家の個展に出掛けた。その作品のみならず、ほのぼのとした人柄や鋭い感受性、知性を感じさせる語り方が大好きで、私はこの山中淳子さんにずっと注目してきた。
 「よるのいろ」という名前が与えられた個展は、おそらく彼女の夜を彩る様々な思索、感情の流れを、絵筆を用いて芸術の次元で表そうという試みなのだと思うが、それぞれの作品において画面を構成するいくつかの要素の絶妙な配置は、観る者の目をやさしく誘(いざな)い、彼女の夜を彩る世界を垣間見させる。
 それは決して押し出しの強い表現というのではなく、彼女の描く絵はどれも、その空間に漂う「心」を、かくも自然に私たちの胸に印象づける。
 彼女が用いる緩やかなラインは、観る者の心情の襞(ひだ)に沿うようにできており、私たちはその流れに身を任せることで、ひとりの人間の「よるのいろ」を、素直に受け入れられるのだ。

                         ★

Junko2_2  もちろん、このような空間を創造するには、豊かな感受性が芸術の技巧を伴っていなければならない。
 彼女の内側で溢れる思想、感覚が表現されるとき、その同じ胸の内にある洗練された構成美のフィルターが機能する。
 アクリル絵具を塗り重ね、効果的にコラージュを散りばめて、最も重要な「感覚」に従った事物の配置を施す。
 山中淳子の心と、その芸術の技巧が交わる点に、作品が誕生する。そしてそこに示されるものが、実のところどのような心情に支えられているにせよ、「やさしい空間」としてあらわされることに、私はこの画家の魅力があるのだと感じている。

                          ★
 
 好き勝手なことを述べたが、おそらくこうしたことは当の画家からは、疎ましがられるだろう。
Junko3_2  彼女の絵画はそうした理屈や説明などは不要の「美」を持ち合わせているのだし、そこにこそ、彼女の目指す表現があるにちがいないからだ。

山中淳子展「よるのいろ」
2006年12月4日より12月9日まで
galeria CERO:大阪市西区北堀江1丁目3-11友成ビル2F  

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