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2006/07/26

春の嵐(ヘルマン・ヘッセ著)

 私は先日、この本を買った。同じ本を買うのは、これで何度目だろうか。こうして数え切れないくらい『春の嵐』が私の手元から離れていき、再び私がそれを買い求めることになるのには、理由がある。
 友人や知人から、「何かおすすめの本があったら教えて」と言われるようなとき、私は自分の本棚からチョイスする書物の中に、相手がどんなタイプの人であれ、この本を付け加えて貸し出した。
 こうして手元を離れた書物は、Pepite図書館の貸出票に記され、大抵はそのうち戻ってくるのだが、『春の嵐』だけは、これまで一度も(一度も!)無事に帰還したことがない。
 もともと読書好きな人が、たまたまこの作品をそれまでに読んでいなかったというケースも少なくはない。だがそれはこの際あまり問題ではなく、実はそうでない場合、つまりほとんど読書には縁がなく、たまにあったとしても「この先どうなるの~?!」という手際よい展開の娯楽作品に限られるといった人たちまでもが、『春の嵐』に心を打たれ、「文学」の美しさを知ったという感想を述べてくれる。そしてそのたびに、私は喜んで、この書物を進呈することになるのだった。

                
               春の嵐(原題:ゲルトルート)

 少年時代の他愛ない恋愛遊戯がもたらした事故のため(意中の女の子の気を引くために、雪の谷を橇で滑り降りるという大胆な行為の結果)、クーン少年は足を負傷し、もはや普通に歩くことさえかなわなくなった。
 彼は身体の不具合が、この先得るはずであった様々な幸福から自分を切り離してしまったことを感じる。そして、その心は音楽に救いを求めようとし、次第に彼は音楽の創作の中に、自らの生きがいを見出してゆく。
 やがて、クーンは天才的なオペラ歌手ムオトに出会い、その強烈な個性に尻込みしながらも、彼に惹かれてゆく。同時に、ある音楽会で知り合った紳士の家庭に招待されたクーンは、その家の美しい娘ゲルトルートに、永遠の恋をしたのだった。
 クーンとゲルトルートの間には、落ち着いた信頼と親密さが芽生えた。音楽を愛好するゲルトルートは、彼の作品と彼とを区別せずに、そのどちらをも愛した。二人の間には自然な調和が存在し、互いに理解し合うことができた。けれども、一見穏やかなやさしさに満ちた関係の影で、クーンの心は春の嵐のように、激しくゲルトルートを求めた。
 彼がその気持ちをゲルトルートに告げなかったのは、彼女の態度、細やかな好意や快活さは、恋というよりはむしろ、自分の不具に向けられた同情であると感じたからであり、健康で美しい男を彼女が好きになったならば、こんなに落ち着いた友情関係にそれほど長くとどまってはいられないだろうという、悲しい確信を拭い去ることができなかったからだった。
 そう思うとクーンは、自分の音楽やその他の価値ある一切を失っても、健常者の肉体を欲する気持ちに悩まされるのだった。

 一方、歌手のムオトは、彼の音楽の良き理解者だった。エゴイストで、問題を起こしがちなムオトではあったが、クーンの音楽を認め、彼の出世のために様々な便宜をはかった。
 孤独なクーンにとって、ムオトとの友情は、なくてはならないもののように、彼の人生に深く根をおろしていた。もっとも、ムオトの破天荒で、女たらしな性質や生活はクーンにとって好ましいものではなかったが、彼はどうしてもこのムオトに惹きつけられる自分を感じずにはいられなかったのだ。
 ある時、クーンの創作したオペラ作品をきっかけに、ムオトとゲルトルートが出会う。二人はたちまち愛し合うようになる。クーンは、ムオトに対するゲルトルートの態度の内に、自分との関係では決して見ることのなかったせつない情熱を感じ取り、絶望を感じる。そのうえ、クーンはムオトの性質から、彼が女性を幸福にできる男ではないことを見抜いていたので、ゲルトルートが不幸になるような気がして、一層苦しんだ。
 しかし、誰の目から見ても美しいこの二人の組み合わせに、異議を唱えることなどできなかった。二人の結婚式の祝いに、クーンはオルガン曲を贈った。結婚式には参列しなかったが、彼はこっそりとパイプオルガンの陰から二人の姿を認め、優美におごそかに、夫と並んで祭壇に向かうゲルトルートが、もしも体の曲がった、歩行も不確かな自分を連れ立っていたなら、こうも美しく輝きはしなかっただろうと思うのだった。

 ゲルトルートを失い、一度は死を決意したクーンであったが、偶然の諸事情から、生き続けることを選択する。後年、ムオトと死別したゲルトルートに向き合い、彼の心は昔の情熱を取り戻そうとする瞬間もないではなかった。しかし、彼はもはやそれぞれの人生が訂正しようもないことを知っていた。
 かつてムオトがクーンに言って聞かせた言葉がある。「人は年をとると、青春時代より満足している」。
 クーンはムオトのその言葉を正しいと感じる。なぜなら、ゲルトルートに対するクーンの愛は、かつての激しい欲望をくぐり抜け、今は清純で、静かで、より確かな音色を奏でるようになったのだから・・・・・・。

                         ※

 『春の嵐』は、1910年、ヘルマン・ヘッセが33歳の時に著した小説である。幸福の真の意義を問う文学として、今日なお世界中の文学ファンの心をとらえてやまぬ秀作である。
 いつものように、私は雑なあらすじを記したが、もしも興味を持たれる方があるならば、この作品を読んでいただきたいと思う。
 この種の文学作品は、ストーリーが重要なのではない。こうした筋書きの中に、作家が丹念に、そして繊細に書き込んだもの、つまり、心を砕くほどの悲しみ、孤独な感受性や思想や幸福を受け取り、感じ入ることが、読書の目的となるはずである。その意味でも、ヘルマン・ヘッセがこの作品で示した感動的な筆致を、是非味わっていただきたい。

 私はヘッセの小説はほとんど読んでいるが、最も心を打たれたのは、多くの人々と同様に、この『春の嵐』だった。
 自分に与えられた条件、ともすれば孤独と絶望に埋没しかねない人生の中に、自分なりの光明を見出し、悲運を超えたところにある人生の幸福を見つめようとする主人公の姿勢に、私はそれまでに感じたことがない「清らかな」感動を覚えたのだった。
 この物語では、身体の不具というハンデが主人公の悲劇の基盤をなしている。だがしかし、それは必ずしも「身体の不具」という具体的なものにとどまらず、ひとつの象徴として、様々な人生を生きる読者の心に抽象的に、かつ個別的な影を投げかける。
 なぜなら、誰もがとは言わないが、多くの人は、どのような条件の下であろうと、人生の幸福や享楽を十全に与えられるという「幸福者」の資格が自分に欠けることを自覚しているからだ。作者のヘッセは、それを最もわかりやすい「身体の不具」に据えて、本題である「魂の幸福」の意義を探求する物語を生み出したのだと、私は感じている。
 私の感覚が正しいならば、『春の嵐』は、ひとりの身体障害者が、自分の条件に合致した幸福を見出すまでの遍歴を綴った物語にとどまるものではない。
 「身体の不具」と「その他の人生上の不具」との間には、とりたてて線引きしなければならない違いはない。そうでなければ、これほど世界中の人々が、この物語に自分の人生を重ね合わせ、心を揺さぶられることはなかっただろう。

  『春の嵐』 1910年 ヘルマン・ヘッセ著(ノーベル文学賞受賞)

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コメント

<春の嵐>は好きな小説のひとつです。これを読んだとき、静かな感動が心に広がったのを覚えてます。
最近は忘れかけてたけど、この記事でまた読んでみたくなりました。
トーマス・マンの<トニオクレーゲル>と重なるところがありますね。
ペピートはこういう系も好きなんですね。
ちょっと安心しました。

フランス旅行はなぜか競馬観戦ツアーのような感じに変わってるみたいだけど最初の目的はそうじゃなかったよね??
自分勝手に予定を組んで強引に押し付けるペピちゃんの姿が目に浮かびます。
やっぱり恋より競馬なんだ!!
これまた一安心です。
もしもペピちゃんの思惑通りに観戦ツアーになったら、小生も参加させてくだされ。
シャンティーの入場料ぐらいはおごりますので。

投稿: ミスターX | 2006/07/27 19:01

Pepiteさん こんばんは!(o^∀^o)ノ

「春の風」とても興味深い感じの本ですね。
読んでみたくなりました!
今度本屋さんに行ったら探してみます♪
「人は年をとると、青春時代より満足している」と言う言葉がとても心に残りました。
後、「清らかな」感動と言うのは味わったことがないのでどんな感じなのか気になります。

投稿: ファズ | 2006/07/27 19:37

>ミスターX

本日は大変お世話になりました(もう昨日になるのかな)。感謝感激です。
おまけにいつのまにかブログのコメントまで書いてくれてたとは知りませんでした。ありがとう。
皆様にもよろしくお伝えください。

そうですね、確かに「トニオ・クレーゲル」と重なるところがあります。
どちらも芸術家の本質についての問題を扱っていますから、それも当然なのかな。
けれど、「トニオ」では、その主題が全面に、かつ強烈に打ち出されているのに対して、「春の嵐」のほうは、そのあたりがもっと緩やかで、奥行きのある描き方になっており、私はこちらのほうを好みます。
この話は長くなりそうなので、また別の機会に。

フランス旅行が観戦ツアーになるかどうかは微妙。
「また馬?!」と怒られて、けんかになっています。
どっちにしても、やっぱり凱旋門賞は観に行くつもりなので、もし参加するならはやめに言ってください。
イヴァンカの家(3区)に泊めてもらうんだけど、あまり広くないので、人数に制限があるからです(早い者勝ち)。


>ファズさん

暑すぎて髪の毛を切ったそうですね。
まあ、もちろんそれだけが理由じゃないでしょうけど。
私などはこの暑さに耐えかねて、丸刈りにしたいほどですよ。
それにしても、インコは暑さに強いですね。
蒸し暑いベランダに出してても、涼しい顔してるから驚きます。

「春の嵐」、なかなかいい本ですよ。
秋の読書の折にでも読んでみてください。
ただ、訳文がちょっと古臭いので、読みにくいかもしれません。
私がサイドバーで紹介しているのは高橋健二氏の翻訳本で、すばらしい訳者なんですが、なにせ古い・・・
誰か今風の新訳を出してくれないかなと思ったりします。
古典に慣れた私にはなんてことはないのですが、そうでない方の場合は、私の調査(?)によると、前半はいくらか抵抗があるようです。
でも第4章から、俄然おもしろくなるということですから、どうかそこまでがんばってくださいね。

投稿: Pepite | 2006/07/28 01:43

春の嵐のストーリー、思い出しました。
なんせ「無」になりがちな私が心を打たれた本だもんね♪
そういえば、難しそうな本ばかり並んでいるペピちゃんの本棚に、ちょこっとだけ憧れ、“最後まで読めないんだからやめなさい”と言うあなたの反対も押し切り、私はあの本を自分で買ったのでした(笑)…と言うことは、私のおうちのどこかにも『春の嵐』が眠っているはず!!
もう一度、読んでみよっかなぁ~(^0^)

投稿: mimi | 2006/07/28 15:27

>mimiちゃん

こんばんは、ハニー。
コメントありがとう。
そういえば、前に川端康成の「雪国」の感想聞いたら、「無」って答えたよね。
私はあっけにとられたものですよ。
そのときのことが、おもしろすぎて忘れられません。
まさか「無」とは!
でも、あなたのそういうところに私は惹きつけられるんでしょうね。
私たちは二人でいてやっと一人前。
あなたの直感的で現実的なすばしっこい感覚と、
私の鈍重で考え深い夢想的な性質とが、互いにないものを埋め合っていて、
あなたが私を頼りにするように、私もまたあなたを頼りにして日々の生活を送っているんです。
「春の嵐」がおうちにあるということですが、
私は見たことありませんね。
きっとあなたの宮殿の奥深くで、永遠の眠りについているのでしょう(笑)
それでもあなたがこの本に心を動かされたということに、喜びを感じます。
そういえば、さだちゃんも(彼女は文学好きですが)、「春の嵐」が一番よかったと言ってたのを、今思い出しました。

投稿: Pepite | 2006/07/29 21:55

名作文学とはあまり接点のなかったワタクシ・・
もちろん「春の嵐」も読んでおりませんの。
でも不思議・・
Pepiteさまの推薦文を拝読すると
つい手にとってしまいそうになるんですのよ うふふ

投稿: dekako | 2006/08/01 11:08

>dekako様

コメントありがとうございます。
ちょっとレジャーで出掛けていて、
お返事遅くなってしまいました。ごめんね。
暑い毎日ですが、いかがお過ごしでしょうか?
私は野外で日焼けして、逞しくなりましたよ。
「春の嵐」、いい作品ですから、機会があれば読んでみてください。

投稿: Pepite | 2006/08/03 22:32

こんにちは。
お久しぶりです。
ヘルマン・ヘッセと言えば、小学生のときに読んだ「車輪の下」が印象に残っています。
それ以外はヘッセの作品は読んでいません。
大人になってからこういう文学作品はほとんど読まなくなりましたが、今一度文学の秀作を読んでみたいな等と思います。
今は毎日暑くて、ゆっくり読書などと言う気分ではないので、秋になったら読んでみようかな。^^

投稿: Diane | 2006/08/07 02:04

>Diane様

ようこそお越しくださいました。
コメントありがとうございます。
この人気薄サイトにDiane様のようなかっこいいHPを運営されてる方が訪れてくれることを、
とても光栄に思います。
壊れた私のパソコンは復活し、リニューアルしましたが、もちろん壁紙は The Gothic の幻想と退廃の美的な映像を迷うことなく選択し、
新たな一歩を踏み出しております。
すばらしい映像の提供に、感謝せずにはいられません。

Diane様は「車輪の下」を読んでおられるのですね。
この作品も、「春の嵐」と並んで、ヘッセの代表作といえますね。
私はどちらかというと、古典といっても、クセのあるものを好む傾向にあるんですが、
ヘッセは、Diane様がコメントに書いておられるように「文学の秀作」として、万人の心を捉え得る作品を生んだ作家だと感じています。
この秋、機会があれば、是非「春の嵐」を読んでみてください。
私はこの記事を書くにあたって、再度読み返してみたのですが、
若かりし頃の熱しやすい情熱(春の嵐)を越えて、
今はいくらか静寂の中で見つめることの出来る自分の人生について、
ある種の感動をもって、これまでの、そしてこれからのあり方、を考えさせられました。

投稿: Pepite | 2006/08/07 23:17

このサイトがきっかけで、『春の嵐』を読みました。あまり文学作品を読まなかったのですが、
この作品はとても共感できる部分が多かったです。
また「人は年をとると、青春時代よりも満足している」というムオトの言葉はとても印象的でした(◎´∀`)ノ

投稿: | 2012/01/27 09:00

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