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2006/05/30

Pepiteの美的な日々:鬱病か?

 この頃わけもなく虚しさを感じたり、ひどく落ち込んだり、無気力に陥ったりと、鬱病ぎみの私。馬好きの私が、競馬の祭典であるダービーにもちっとも心躍ることもなく、それどころか、ダービーの日に仕事を優先させて、レースを観なかったんですよ。私をよく知るひとなら、ただちに入院を勧めてくれるのではないかというほど、これはサプライズな出来事。
 今年はもともとこのダービーの日に仕事の予定があったんだけど、ついこの間までは、「休ませてもらえないなら仕事辞めるよ」と、馬仲間に本気で言っていたのに・・・・。
 そんな感じで、自分でもとても驚いています。私はわりと精神のバランスがとれているタイプだとこれまで思ってきたし、欝病になることなんかたぶん一生ないだろうと、勝手に決めておりました。
 なぜこんなに無気力なのか、その理由がさっぱりわからないんです。仕事もとくに問題なくこなしているし、職場でも私生活でも人間関係は良好。借金も無し。これといって問題も抱えていないし、愛鳥たちも元気。
 でも今はまだ、引きこもり状態にまでは至っていません。いやいやながらも仕事をし(なぜいやなのかわからないけど)、友達にも会い、一応見た目には普通の生活を送っています。
 でも本当は、どこにも出掛けたくないし、何もしたくない。虚しく、無気力。そしてたぶん普通なら、プライドの高い私はこんな自分を認めるのを苦痛に思うはずなんだけど、今はそんな気持ちもなく、ただぼんやりして、あるがままを受け入れています。

 身近な友人が、私よりも先に似たような状態になっていて、その人と共に、自殺について、人生の不条理や、無気力な日々についての議論を重ねるうちに、だんだん感染してきたのかなと思ったりしますが(その友人は「ごめん、私のせいで・・・」って言うけれど)、必ずしもそうではないと感じるんです。私の中に、自分がこれまで意識しなかった虚無感のようなものがあり、ついに自分でそのことに気付いたのだと。

 ブログの更新をさぼって、この数日間、私はいろんな哲学書を本棚から引っ張り出して読みふけりました。その中で、ショーペン・ハウエルの「自殺について」という短い論文に妙に納得したんです。キリスト教世界を背景に書かれたものなので、そのすべてがピンとくるわけではないのですが、平たく言えば、人生が生きるに値しないと思われるとき、人はその生と決別(自殺)できるという、非常に明快で論理的な内容です。
 私はこの本を10代の時に読み、さしておもしろくないと思いながらも、その後今日までの書籍整理のたびにこの本を捨てずに残しておいたのは、やはりその論述を評価していたからなのでしょう。
 虚しい、無気力、ということから、勢い「自殺」について考察するのはちょっと極端だと思われそうですが、私はなんでも突き詰めて考える性質なのです。だから、今のこうした感情の先にあるのは、自分の「自発的な死」であることを予想して、その心構えを、というより、論理的な道筋を立てておこうとしたのです。

 生の恐怖が死の恐怖に勝るとき、そして、自分の生が生きるに値しないと思われるとき、私は自分の生にいさぎよく決別するでしょう。この決意は、ある意味、私に勇気を与えてくれます。そこまで考えると、今の私は決してそんな状態ではないからです。
 私が死ぬ時は、病気や事故ではない限り、多分自殺だろうと、ずっと前から予想しています。私は自殺を「よくないこと」として否定する気持ちはありません。人はそれぞれの虚しい人生において、その終末を選択する権利があるものと信じています。私が三島由紀夫の「死」に彩られた文学を、若い頃から愛好したのは、ある種、自分の終末の姿をそこに見出していたからなのかもしれません。もっとも、私の場合は有名人ではないので、あんなに華々しい?パフォーマンスにはならないでしょうが(笑)。

 私が自由にこの人生に決別できるとすれば、今はまだその時期には達していないようです。鬱病的な日々を送りながらも、幸福を感じる出来事が、少なからずあるから。
 先週、職場の休憩室で気難しい本を読んでいたかわいくない私に、お気に入りのかっこいい男の子が「はい、これ、おやつあげるよ」と言って、私に似合わぬピンクの包みの小さなチョコレートをくれたし(前にエレベーターで二人きりになったときに、口説いた効果かな?)、先日のブログで書いたギリシャ神話の女神のような美女とは、その後私の思惑通りに仲良しになれたし、そしてついさっき知ったんだけど、今夜は大好きなDiane様から、mixiのサイトにメールが届いているようだし、私の人生、まだまだ絶望ってわけじゃないのよ。

 なんだかわけのわからぬ記事になってしまいましたが、論理性を重視する私がここまで「変」になってるんだという同情から、皆様に許していただきたいと願います。
 もしかして、これ、5月病?だとすれば、もう終わり間近だよね?そうだといいんだけれど。

 

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2006/05/20

Pepiteの美的な日々:奇怪な出来事

 私にとって今日(5月19日)は雨降りのヒマな休日。映画にでも行こうかと思ったけど、大雨になるようなので、やめにしました。読書する気にもなれず、我が家の二羽の愛鳥はラブラブで、私のことは完全無視だし、たまった家事をこなすパワーもなく・・・・
 昼前になってお腹が空くと、近所の人妻に電話。あとで行くから、なんか食べさせて、と。そこでパスタとサラダをごちそうになり、その友人が最近購入して活用しているバランス・ボールとやらに乗ってみたところ(馬に乗れるんだから、これくらいわけないよと思い)、まさにバランスを崩して落下、打撲。大変危険な乗り物(?)のようです。
 それから私の最近の恋のおもしろ話を披露し、二人でゲラゲラ笑って、ようやくこの休日が楽しいものになりかけた頃、人妻が歯医者の予約で出掛けなければならず、しぶしぶ家に帰ることに・・・・
 月曜日に友人に返さなきゃならない本を読もうとしたけど、今日は難解なものに対して脳ミソが拒絶反応。代わりに選んだのが、なぜか澁澤龍彦著の「東西不思議物語」。アジアやヨーロッパの幽霊話、SF、怪奇現象などを集めた面白本で、これなら気楽に読めるかなと思ったわけです。
 といっても、今日はこの本の紹介ではありません。たくさんの不思議な物語を読んでるうちに、私自身が中学生の頃経験した奇怪な出来事を思い出し、皆さんに聞いてもらいたくなったのです。
 吸血鬼に襲われかけたとか、UFOに連れ去られたとかいうようなディープインパクトな話じゃなく、地味~な内容なんだけど、不思議度は100%!
 どうぞ我がミステリーをお楽しみください。もちろん、実話です。

 それは、中学2年生の夏休みのある日、友達のMさんの家に、私とTさんの二人が泊まりにいった晩の出来事でした。この日Mさんの両親は不在で、私たちは3人で家にいたのです。親がいないのをいいことに、深夜までガンガン音楽を流してしゃべりまくり、楽しんでおりました。そして夜中の2時を過ぎた頃、喉が渇いた私たちは、近くの自動販売機にジュースを買いに行くことに。(この頃はまだジュースですよ、私も!)
 出掛けたのは私とMさん。自動販売機までは徒歩1分といったところかな。Mさんの家を出て、まっすぐ進むと四つ角があり、その一隅に目当ての自動販売機があるんだけど、すぐそばには白いステテコ(?)を穿いて、ランニングシャツを着たおやじが立っていたのです。よく見るとおやじはマルチーズ犬を連れてて、散歩の最中。こんな夜中に、と思ったけれど、それよりも私たちは、子供が深夜に出歩いてることをこのおやじに注意されるんじゃないかと、ちょっと恐れたのでした。(まだ今よりも大人が強かった時代!)
 動物大好きな私は当然、このマルチーズ犬に注目しました。きれいにブラッシングされた真っ白なかわいい子で、赤い首輪に、細い赤い紐で繋がれていました。男性と犬は自動販売機のすぐそばにいて、私たちは「何も言われませんように!」と願いつつ、おやじに背中を向けるような格好で販売機に小銭を投入し、ボタンを押しました。
 ジュースを取り出し、振り向いた時に(この間およそ5秒)私が見たのは、先程のおやじではなく、白いネグリジェのような裾長の服を着た髪の長い女性で、目を隠すように前髪をたらし、さっきのマルチーズを連れてたのです(首輪も紐も同じ)。
 私は身も凍るような驚きで、一瞬言葉を無くしました。最初のおやじと、この薄気味悪い女性がいつ、どうやって入れ替わったのか、まったく説明がつかないからです。現場には隠れるところがありません(死角もなし)。丈の短い草が生えた空地に囲まれた四つ角で、深夜ゆえあたりは静まりかえっていて、足音なんかは響きまくり。
 いつもボーっとしているMさんはこのことに気付きませんでした。家に向かって歩き始めた時に、私は小声で彼女に「おじさんが女の人に変わってるんだけど・・・」と知らせました。振り返り、そのことを確認した彼女は、腰を抜かしそうなくらい驚いて、恐怖し、泣きながら私の腕をとり、ほとんど駆け出さんばかりに急ぎました。すると私たちの背後に、カッ、カッ、カッ、という鋭い足音が響いてきたんです。Mさんが悲鳴を上げ、私たちは全速力で家に戻り、この出来事を留守番してたTさんに話し、3人で恐怖に怯えました。

 MさんもTさんも怖がりで、すぐさまこの出来事を幽霊に結び付けて考えたようですが、私は必ずしもそうではありませんでした。まず、幽霊なんて信じていなかったし、世間にたまにいる「霊感がある人」とやらのもったいぶった話などには嫌悪をもよおすばかりの私は、この出来事にはきっとなんらかの説明がつくはずだと考えたのです。
 そこで二人の制止を振り切って、私は一人で現場に戻り、冷静に状況を思い出し、あらゆる可能性を探ろうとしたのですが、成果はありませんでした。どう考えても、やはり不可能なんですよ。
 だからといって、これをオカルト的な現象ととらえるには未だに抵抗があるのだけれど、ただただ、不思議な出来事として、忘れられません。
 これを怪談とするなら、なんだか季節外れの記事を書いてしまいましたが、もともと私のブログに季節感は無し。この時期に雪の結晶のテンプレートを使い続けてることからしても・・・・(たぶん、真夏もこのまま)。

 

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2006/05/13

Pepiteの美的な日々:日傘と雨傘

 今日はバーベキューパーティーを予定してたんだけど、雨で中止。何日も前から、はりきってコンロを磨き、炭を買い、食器類や調味料などをそろえて準備万端だったのに。
 でもまあ仕方ないので気持ちを切り替え、この憎らしい雨にちなんだ記事でも書きましょう。

 雨といえば傘。私は傘をさして歩くのが大嫌い。誰でもそうかもしれないけれど、私の場合は特筆ものかも。ちょっとぐらいの雨なら、傘を広げるより、濡れたほうがマシ。なぜだかわからないけど、傘を広げたり、片手に持って歩いたり、閉じたりする動作が、ひどく面倒に感じるのです。濡れて困るような高級な身なりに縁は無し、雨のしずくを不潔と考えるほどの衛生感は無し、という条件も手伝って。
 そうして考えてみると、私は本来手ぶらで歩くのが好きなタイプであることに、今さらながら気付くのです。外出の際、バッグを持たない女性はまずいないだろうけど(近所のコンビニに行くような場合は除き)、私は必要がないと思われる時には、平気で手ぶらで出掛けます。
 そういえば以前、都市の繁華街のど真ん中にある場外馬券売り場に、愛馬の記念馬券を買いに行った折、駅前で偶然友人に出会い、少しだけ立ち話をしたのですが、しばらくしてその友人が「ペピート、あんた、荷物は?」と不思議そうに訊ねたものでした。
「えっ、荷物って・・・?ただ馬券買いに来ただけだから」と、私。
「でも・・・・普通は・・・・・・」
「だったら、普通じゃないんだよ。いいじゃない、別に。でもちゃんと財布は持ってるよ」と、上着のポケットから財布を出して誇らしげに掲げる私。
「ああ、よかった。ポケットに小銭ってわけじゃないのね、少なくとも」
 私は神秘的な笑顔で応え、そして私たちはさよならを言って、それぞれの目的地(彼女はデパート、私は馬券売り場)へと、分かれて行きました。
 私の財布には、お札とクレジットカードと愛鳥の写真があるだけで、小銭のほうはすべてジーンズのポケットに放り込まれていたんだけど・・・・。

 話が大いに脱線してしまいましたが、本題に戻ると、とある私のお気に入りの美人の友達は、私とは正反対に傘が好き。まるで雨降りの日を待ってるかのように、洒落た傘をたくさん持っています。彼女にとって傘はアクセサリー。雨傘に限らず日傘のほうも愛好している彼女は、傘嫌いの私にはまるで異星人のように感じられます。
 
 傘といえば、普通私たちは雨傘のほうを思い浮かべるわけですが、傘の歴史を見てみると、日傘のほうがずっと古いことを知らされます。古代ギリシャやローマの時代から、貴婦人たちは日傘を愛用していたようです。なんといっても強い日差しは美しい女性の大敵ですからね。また、日傘は女らしさのシンボルでもありました。後の時代のフランス、ルイ14世の頃も、ブルボン王家は「絹のパラソル11本、金銀レースの縁飾り油引き亜麻布のパラソル3本」を所蔵していたということです。
 ともあれ、古代から、美しい女性たちは雨よりも太陽のほうを断然恐れていたみたい。しかも彼女らの日除けの道具は、単にその役割を果たすというのではなく、美的でなければならなかったようです。

 これに対して、雨傘のほうは、ヨーロッパの古代にも中世にも存在しませんでした。ではどうやって雨をしのいでいたかと言うと、雨合羽。日本でも「かぶり笠」と「みの」であったように、中世ヨーロッパでも、材質こそちがえ、頭巾に裾長の袖なしマントを羽織っていたようです。これではおしゃれであることはあまり望めそうにありませんね。ただし、このほうがずっと実用的ではありますが。
 日除けの道具と雨除けの道具の形態が一致したのがいつ頃なのか、この記事を書くにあたって調べてみましたが、残念ながらはっきりしたことはわかりませんでした。ただ、ある時期から、傘の元である「パラソル(日傘)」が、晴雨兼用傘になったようです。
 後に傘は「パラソル(日傘)」と「パラプリュイ(雨傘)」とに分かれ、こうして晴れの日ばかりでなく雨の日も、美しい女性は洒落たアクセサリーをかざして歩くことができるようになったのです。

 梅雨の後には猛暑がひかえたこれからの季節、雨傘も日傘も大いに役立ってくれるでしょう。前述の傘好きの美人には、日頃から不精で不潔でいい加減な私の生活を細々と世話してくれるお礼に、今年も傘をプレゼントしようと思ってるんだけど、実用の観点から、お洒落度に限界のある雨傘よりも、自由に装飾をほどこせる日傘のほうを選択しようと思います。
 今回こうして傘のことを調べたおかげで、ヨーロッパの高級パラソルについての知識をいくらか得た私は、ここでそれを自慢げにお披露目したくもなりますが、その傘好きな美人が「あたしもブルボン王家のような絹の日傘や金銀レースの・・・云々・・・が欲しい!」という、女の子らしい思いつきに胸を弾ませることを恐れて(つまり、私の法外な出費を恐れて)、やむなく見送ることにしました・・・・・・。

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2006/05/04

Pepiteの美的な日々:乗馬と魚釣り

 3月31日の記事「冬眠から目覚める」で予告したように、私はすっかりアウトドアモードに突入。心地よい春風に吹かれ、しばし美的な悲劇を忘れ、生命の充電をしております。というわけで、悲劇を愛好する読者の皆様、もうしばらく陽気な私にお付き合いください。

乗馬

  競馬話を始めたら、いくら時間があっても足りない私とsalaさん。二人が買った悲劇馬券の亡骸を積み上げると、ロッキー山脈のようになるのではないかと思ったりもするけれど、この日はそんな悲しみには無縁な乗馬。
 馬によって受けた悲しみは、馬に癒してもらおうと、二人してウエスタン乗馬クラブのロディーズ・ステーブルに、遥々出掛けて行きました。

Img_1833←馬上のsalaさんの後ろ姿

 私はフランス(風)人なので、普段はヨーロッパ式の乗馬をしますが、今回はウエスタンスタイルに挑戦。前に九州のエルランチョ・グランデというウエスタン乗馬クラブの外乗で、美しい草原を駆け抜けた忘れ難い思い出から、乗馬を楽しむという点では、ウエスタンのほうが上をいくのではないかと、感じるようになったんです。
 まず、あれこれと姿勢や乗り方についてうるさく言われるヨーロッパ式の面倒臭さがなく、鞍もずっしりとした安定感あるもので、少々失敗?しても落馬の心配はないし、片手の手綱に慣れれば、むしろこちらのほうが乗馬の楽しみをいち早く知ることができるのではないかと思いかけています。

 Img_1838 ↓オーナー(画面奥)とsalaさん
さあ、出発!先頭を行くのはロディーズ・ステーブルのとってもダンディーなオーナー。テンガロンハットのウエスタンスタイルでバッチリ決めて、私たちを導いてくれました。かっこいいわ~(惚)。その西部劇スターの後に続いたのがsalaさん。外乗は今回が初めてということで、いささか緊張ぎみ。そして、そんなsalaさんを護衛するように、私がその後ろにぴったりと付けておりますよ~。
 山道に入るまでは、車も通る普通の道を行くんですが、すれ違う歩行者やドライバーたちが「あっ、馬だ!馬が歩いてる、馬だよ、馬!!でかいな~、すごいすごい!」と、しばしば注目してくれました。もちろん日常生活では人の視線を集めることなどまるでない私にとって、これはなんとも嬉しい体験。(みんなが見てたのが私じゃなく、馬だったとしても)。
  春の日差しを浴びて、細い山道を行く私たちは、馬の体温と心地よい揺れを感じながら、周囲の景色に忙しく首をきょろきょろさせ、池の水面に浮かんだ水鳥たちの姿に歓喜し(特に鳥好きの私は)、樹木が生み出す新鮮な空気を胸一杯に吸い込んで、それこそ至福の時を過ごしたのでした。

Img_18421←salaさん(右)と私の乗馬記念写真

 今回の乗馬で私たちが乗ったのは、クウォーターホースという種類の、すごく大きな馬。私にとって馴染み深いサラブレットとはちがって、温厚で、人懐っこく、とっても乗りやすく、しかもきちんと訓練された優秀な馬たちでした。
 なんだかウエスタン乗馬にハマってしまいそうな私。来月は再び九州の草原で馬に乗る一人旅計画を、頭の中で組み立てております。その時のために、テンガロンハットを買いにいこうかな。
 ともあれこの記事を読んで、皆さんが「私もちょっと馬に乗ってみたい!」と思ってくれたなら、幸いです。
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魚釣り

 上にも述べた3月31日の記事「冬眠から目覚める」で紹介した鈴木さんと、今年も魚釣りに行ってきました!。京都府綴喜群井手町の山奥での渓流釣り。今回はイワナを釣り上げる目標で、二人してがんばったけど・・・・・。

 Img_1849 私たち二人の美女が仕掛けた罠にかかるのは、ニジマスばかり。もうニジマスはいいのよ!去年もお腹一杯食べたんだから!優美に、すばしっこく泳ぐイワナ様、どうか私の針にかかってください~!
 イワナ釣りは難しいってよく聞くけど、本当にその通り。エサのイクラやソーセージの切れ端はしっかり持っていかれ、全然針にはかからないイワナ様たち。
 途中でエサを生きたミミズに変え、彼らの捕獲を期待した私たちでしたが、水中でくねくねと身を踊らすミミズは食いちぎられ、だんだん短くなっていくんだけれど、頭の良いイワナ様は肝心のところには喰いついてきてくれません。

Img_1851_1 ←獲物をゲットした鈴木さん(鈴やん)
 
 かかった、かかった!!あっ、ニジマス・・・・。よしよしよしっ!!あっ、またニジマス・・・・という具合で、鈴やんと私はひたすらニジマスを釣り上げることに・・・・

 去年は船井郡瑞穂町で13匹(尾)のニジマスを釣り、二人でこんなに食べきれないだろうという判断から2匹を川に戻し(微妙な判断だけど)、11匹のニジマスを食した私たち。
 今年の収穫は9匹。もちろんその気になればもっと釣れたのだろうけど、イワナ捕獲モードの私たちにはなんとなくニジマスが魅力薄に思え、適当なところで止めてしまったのでした。(イワナを釣ることはできないとあきらめて・・・)。

 そんな失意にもかかわらず、捕らえた獲物はしっかりと胃袋に収めましたよ。塩をまぶし、炭火で、その捕れたての9匹をじっくりと焼き、狩人の喜びを味わいました。実利的な私たちは、昨今のブームとなっている「釣るためだけの魚釣り」は決してしません。楽しみのために釣ること(食するには適していない魚を釣って、その大きさなどを記録し、また水に戻してしまうような今風のレジャー)、などに縁はなく、食べるために釣るのです。Img_1852_1  

 ニジマスに不満を言ったものの、やっぱりおいしかった~!!じっくり焼けば骨まで食べられるんですよ。これで当分はカルシウム不足を気にしなくてもいいかな。
 今回私たちは新しい釣竿で(前日に購入)、挑んだんだけど、なんか使い勝手が悪く、私は失敗ばかりしてたのに(イワナ様がかかってくれたのに、うまく引き上げられなかったという痛恨のミスも含め)、器用な鈴やんはこのImg_1858竿の特徴をたちまちつかみ、見事なさばきで釣りを楽しんでいたようです。
 やっぱすごいわ、この人!と、私は感心しました。そして読者の皆さんの中に、私も参加したいと思う方があれば、本ブログの「プロフィール」の「メール送信」よりご一報ください。ただし、生きたミミズを釣り針に差し込むことができる方に限ります(笑)。

Img_18593次回はイワナ釣ろうぜ!

鈴木さん(左)とワタクシ

 

  

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