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2006/04/28

Pepiteの美的な日々:マニアックな読書

ダイヤモンド(マンディアルグ著)

 女性というのはえてして宝石の輝きに魅せられるもののようだ。中には私のように安全無事な野蛮な女もいるが、今日ご紹介するアンドレ・ピエール・ド・マンディアルグの短編「ダイヤモンド」は、無粋な私にさえ、宝石の放つ冷たい光、純潔な光沢を想像させずにいない物語である。
 マンディアルグの作品には、少女陵辱をテーマにしたものが多く、またその群を抜く変態性から、これらを特殊なオスの文学と捉え、敬遠する向きもあるだろう。(私の元彼などは、マンディアルグの「城の中のイギリス人」を、そのどぎつい描写に辟易し、最後まで読めなかったと告白した。私は平気で読んだのに・・・)。
 マンディアルグの作品がオスの文学であったとしても、その中には男の視点から妙に女の生理をえぐるような優れもの?も存在するのである。
 そのうち特に私が愛好するのは、「ダイヤモンド」と、長編小説の「オートバイ」。
 たぶん、この二作は、おしゃれでかっこいい女にだけ似合う物語だろう。その意味では大いに疎外された感のある私だが、たとえ似合わなくても、そのかっこよさを理解できるタイプの感受性を、憐れみのように神様が授けてくれたことに対して、感謝せずにはいられない。

 宝石商を営むユダヤ人のモーゼという姓の父娘、セザリヨン・ダヴィッドと娘のサラ。彼らのもとに、特別な価格の新たに購入した大きなダイヤモンドが届く。鑑定の仕事はもっぱら娘のサラが行った。なぜなら、ダイヤの冷気と熱気(=輝き)を判定するのにふさわしいのは、生娘だと、父のセザリヨンは長年の職業的勘で知っていたからである。
 宝石の硬質な冷たい輝きの奥底まで見分けるためには、おまえは結婚などしないほうがいい、と父は娘のサラに言ってきかせる。娘のほうも結婚などする気はないと言い切る。なぜといって、サラは、記憶にないほど幼い頃に他界した母親の写真、突飛な夜会服を着込み、肌を露出し、はしたなく髪の毛を縮らせた、いわば俗っぽい男向けの美人といった容姿にうんざりし、こんな女が自分を産んだという事実に愕然とする思いがあったからだ。
 彼女が愛する父を許せないと感じるのは、こんな女に誘惑されたという一点だった。そして自らがこの世に生を授かるきっかけとなった両親の性行為に対して、激しく深い反感を覚えずにはいられなかったのである。
 宝石鑑定についての父親の見識が正しければ、サラはまたとない鑑定士だった。実際、父親の見立てに誤りはなかった。目のこえた宝石仲介人ですら見逃したわずかな瑕疵(きず)を、この娘は父に指摘することができたのだから。
 そして、届けられた特別に高価な、新たなダイヤモンドの鑑定を行うサラ。この光景はまるで神秘的な儀式のように美しく、エロティックですらある。
 屋根裏部屋にしつらえられたと思われるその鑑定室に、彼女は一糸まとわぬ裸体で、無論素足で、入ってゆく。彼女のそんな姿は、鑑定物と同じ状態に自分の身を置かなければならぬという、神聖ともいえる配慮からだった。
 この部屋の中央に置かれた黒檀のテーブルで、彼女は鑑定を行った。鎧戸の隙間から差し込む日光が、そのテーブルの一隅を光らせている。日陰となった部分に、彼女は対象のダイヤモンドを置き、三重拡大鏡を手にとり、かつて見たこともないようなそのダイヤの純粋な輝き、温もりの形跡ひとつ感じられないその見事な光沢に感嘆するのだった。
 そしていつしか、気付いたときには、サラはこの硬質で美しいダイヤモンドの内部にいた。透明な牢獄は凍てつくほどの寒さだった。彼女が鑑定に取り掛かったときに、この宝石の中に見たほの青い美しい反映が内部からでも見られるだろうかと目を凝らしたが、そこに色彩はなく、完璧な透明さがあるだけだった。
 この寒さから逃れるために、鎧戸の隙間から差し込む光が、太陽が高く昇るにつれ、次第に角度を変えて、宝石を照らすのを待った。
 ついに日光が宝石に触れ、光が小面の頂点を照らすと、その境界線は火花を散らし、光源が広がり、宝石の内部では、冷たい青色と、焼け付くような赤色が争った。それから光がぱっと燃え上がり、ダイヤモンド全体に火が点けられた。赤が青を侵略し、青はもはや残映にすぎなかった。

 気が付くと、一糸まとわぬ美しい裸体の男が、ペニスを直立させ、サラの前にいた。男の頭部はライオンのように大きなたてがみで、金色にきらめいていた。二人は宝石の中心部で向かい合っていた。男がサラに躍りかかると、彼女は激しく抵抗し、なんとか逃れようともがくのだった。男はサラ・モーゼに語りかける。この高貴な石の中に彼女が入ってきたのは、彼と結ばれるためなのだと。預言者を生んだ民族(ユダヤ)の処女と、太陽光線の中から現れた男との間に、迫害の民を導く子孫が生まれ出る宿命にあることを。
 サラ・モーゼは自分がユダヤ人であることを誇りに思っていたから、この栄誉ある役割を引き受けることにしたのだった。燃えるダイヤモンドの中で、二人は交わり、太陽の光線が宝石を離れると、男はもうそこにはいなかった。
 次に意識を取り戻したとき、サラはダイヤモンドの外にいた。今しがたの出来事は夢かと疑ったが、身体の中心部の痛みと、その辺りを汚している血痕が、実際の出来事であることを証明していた。そしてサラは、この鑑定についての一切に、口をつぐんだ。

 何も知らない父親は、何度もそのダイヤモンドを調べたが、売り手が強調した、ダイヤモンドの青い美しい輝き、氷のように冷たい純粋さを、どこにも認めることができなかった。それどころか、その石の中心部に、血管が破れたときに皮膚の下にできるような赤い小さな汚点を見つけて愕然とした。しかもその赤い点が、日々大きく鮮明になってゆくのだった。
 疵物をつかまされたと憤慨する父親は、売り手にこの石を引き取らせようとするが、サラが反対し、結局父は娘のためにこのダイヤモンドを指輪に仕立てて、彼女の指につけさせた。
 それを結婚指輪と名付けたサラは、赤くて鮮やかな一点が大きくふくらんでいくのを眺めるのだった。同じように、彼女の体の中で、幼い生命がふくらんでいくのを感じながら・・・・。

 
 予定よりもずいぶん長くなってしまったが、本当を言うと、ここでは思わせぶりなことを書いて、実際に皆さんにこの本を読んでもらうというのが狙いだった。ところがこの本がすでに絶版で、入手困難であることを、途中で知ったのだ。そこで魅惑的な予定を変更し、この作品の雰囲気を可能な限り知っていただけるように、大幅に書き換えることになった。
 私はこの幻想的な作品を、とてもかっこいいものに感じるのだが、皆さんはどうだろう。マンディアルグがこの物語の冒頭で引用した、ジュリアン・グラックの「・・・・いうなれば、不可思議な魔法のはたらきによって、光が肉と化した。生命ある霜のように・・・・」という文句が一層この物語の魅力を高める役割を果たしていて、彼のセンスの良さを改めて感じずにはいられない。こうした秀作が入手困難とは、なんとも残念でならない。
 しかし幸いにも、「オートバイ」のほうは、大きな書店か、小さくても趣味の良い書店では見つけることができるので、こちらは時を改めて、「悲劇のコレクション」で紹介することにする。
 
 ところで、この記事にはあまり関係ないのだが、私は最近知り合ったギリシャ神話の女神のように魅惑的な女の子と、数日前、隣に座って話をする機会に恵まれた。こんなチャンスをやり過ごしてしまうほど内気ではない私は、神話好きで美的なものをこよなく愛する私が、彼女のほとんど神秘的といってもいいような美しさに、かねてから注目していたことを告白した。なんとまあ、それは突拍子もない告白だっただろう!と、恥ずかしくなるのだが、さらに恥の上塗りのようにして、馬鹿な中高生がアイドルスターに質問するように、好きな色は?とかなんとか、不手際な会話を続け、彼女をあきれさせてしまったことは、もはや疑いようがない。
 それでも、そんなやりとりの中で、彼女がバイクに乗ることを知った。私の脳裏に浮かんだのは、マンディアルグの「オートバイ」で、素肌に皮のつなぎをつけ、ハーレーで颯爽と愛する男のもとへ向かうかっこいいレベッカ。もっとも、この女神のように美しい女の子のバイクはハーレーではなく、ずっとスタイリッシュでおしゃれな、そして凝った乗り物なのだが、そんなちょっとした違い(?)は、すぐに空想を飛躍させる私には、問題ではなかった。
 彼女の存在は勢い古典の世界から飛び出して、現代的なさらに魅力溢れるものに、私の中で変化を遂げた。そして私は魅せられた詩人が持つような、恋にも似たあやしい心の傾きを、どうにも隠し切ることができなかったのだ・・・。ああ、どうしよう!(笑)

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2006/04/20

Pepiteの美的な日々:パリ発ミラノ行き国際列車

こうすれば、あなたもタダで乗れる?

 夢なんかめったに見ない(寝て見る夢)、という友達もいるけど、私の場合眠りに夢は欠かせないもの。しかも幸福な夢を見た記憶などほとんどない夢見の悪い私は、日々悪夢にうなされています。
 けれどもこうした悪夢の中には、覚めてみるとめちゃくちゃおもしろいものも結構あり、そんな場合はこれらをしっかりネタに仕上げ、飲み会などでお披露目し、笑いを獲得しております。
 でも今日は、悪夢の物語の記事ではなく、とある悪夢からふと思い出した現実の面白事件を書くことにします。
 そのきっかけとなった悪夢とは・・・・パリの国際駅から、なぜか?せつない心を抱えて外国に旅立とうとする私。(なかなか絵になるじゃん!)。ところが、荷物を積み込む途中で扉が閉まり(ちょっと待ってよ!!)、そのまま国際列車は動き出してしまいます。私は絶望的な叫びとともに、ホームにぽつんと残された荷物をなすすべもなく見つめるしかありません。かっこ悪いなんてだけじゃなく、冷や汗もののこの悪夢が呼びさました現実の出来事は、「パリ発ミラノ行き国際列車、無賃乗車の旅」でした。
 おフランスは、パリにおける私の美的な日々の断片を、「サン・ラザール駅の中国人」という記事で、前に皆さんに読んでいただきましたが、今回もまた、ヨーロッパ滞在中に起きた思い出深いシーンをひとつお目にかけることにします。
 「サン・ラザール駅の中国人」では、思いがけない人の心のやさしさに触れ、涙を流した若かりし頃の(今も若いけど!)私のパリ生活の一コマを紹介したわけですが、今回はこれとはずいぶんおもむきが異なります。胸を打つ思いや幸福というわけではありませんが、それでも平板で精彩を欠く私の人生の途上において、今なお忘れ難く、ほほえましい出来事として、記憶に残る賑やかな思い出です。 

 アレッサンドラ・アドネット(通称アレ、私はアレックスと呼んだ)、イタリア人、でかい系の女の子。パリでの本来の勉強とは別に、伝統ある私立教育機関の夏期講座を受けることにした私は、そこでアレックスに出会いました。
 講義の初日、偶然隣りに座った私たちでしたが、この初めの日から、私はなぜか彼女とは気が合いそうな感じがしたものです。この教室では席が決まっているわけではなく、毎日早い者順に位置取りが決まってゆくのですが、翌日、アレックスは早目に教室に着き予習をしていた私を見つけ、他にも空いている席があるにもかかわらず、私の隣に来てくれたんです。これで私たちが仲良しになれるのは、もう決まったことのように思われました。
 そしてそんな私の予想(望み)通り、アレックスと私は急速に仲良しに。でもそれは、「サン・ラザール駅の中国人」で紹介したヤドランカ(通称アダ)と私の関係とはまた違った感じのもの。アダが私のことを、何国人とかいう枠組みを超えて、一人の気の合う友人として向き合ってくれたことに対して、アレックスの場合、彼女が私を気にかけた理由はおそらく、私がアジア人で、慣れないヨーロッパの暮らしに当惑しているだろうという、ある種の保護意識からだったと思うのです。
 この学校に他に日本人がいなかったわけではありません。ここはレベルが6段階に分かれていて、私のクラスは5段階の上級クラスだったのですが、普通、「私はフランス文化について勉強してるの」、というおしゃれで垢抜けた美人の日本人は、大抵1~3段階にいるようで、私のように不美人で、勉強をがんばるタイプだけが、試験によって上級クラスの切符を勝ち取ることができたようです。したがって私のクラスには、普段はどこかの大学で陰気臭い勉強を続けている野暮ったい日本人男性と私の他には、見るからに異邦人はいなかったわけです。
 私は常々思うのですが、私たち日本人がヨーロッパ文化について、とりわけそこに興味を見出す者が、かなり正確にその情報を仕入れていることに対して、ヨーロッパの人たちは、アジアの小国、しかし経済大国でもある私たちの国のことを、ほとんど知らない場合が多いのです。パリで有名な「ジャポニスム・日本展」に展示されている着物なるものが、どう見ても中国の民族衣装だったり、装飾品の数々がその年代からは、到底日本のものではないと確信できるものであったりと、まるで片思いのような気分(私はあなたのことをこんなによく知ってるのに、あなたときたら何よ!)となることもしばしばでした。
 そんな事情から、平均的なヨーロッパ人であるアレックスは、異文化で暮らす私を思いやり、夏期講習の一ヶ月の間、いつも私のそばに付き添い(実際は私の方がパリ滞在は長いんだけど)、私がすでに知っているヨーロッパの風習を思いつくままに教えてくれました。私が何も知らないふりをして、そうした教えにいちいち驚いてうなずいたのは、彼女のそんな好意が、とても嬉しかったからです。
 アレックスはパリ在住のイタリア人のパーティーに私を招待してくれたり、私が講師となる折り紙の講座?を企画してくれたり、フランスでは有名なヴァイオリニストのプライベートな演奏会に場違いの私を招いてくれたりと、やはりアジアの私が通常では知ることのなかった様々な時間を提供してくれました。

 そんなアレックスが故郷のミラノへ帰る日、私は彼女には事前に言わずに国際列車の駅へと見送りに行きました。これはアレックスにとって意外な出来事だったみたいで、彼女はホームで私の姿を認めると、両手一杯に抱えた大荷物を放り出して、私を抱きしめ、イタリア人らしく、キスの嵐を浴びせかけました。恥ずかしがりやの私は、列車の発車時刻を指摘し、彼女を車内に押し込んで、ホームからその膨大な荷物を一つ一つ放り込み、最後の小型のバッグがアレックスの手に渡ったとき、腕時計を確認し、どうやらこの大荷物を彼女の座席まで一緒に運んであげる時間があると判断しました。
 それは正しかったのです。ただ、私は情熱的なイタリア人の性格というのを計算に入れ忘れただけ・・・・。
 でかい系の彼女に抱きすくめられて、身動きのとれない私。「ああ、あなたをミラノに連れて帰りたい。うちのお母さんはミラノ一の家庭料理人なの。どんなにおいしい料理を作ってくれるかあなたに知ってもらえたら!お父さんはサッカー狂だけど、とってもやさしいのよ!ひとつ年下の妹はちょっと不良だけど、タバコなんか吸うし、でも絶対好きになってくれるはず。ドゥカっていうシェパード犬が、店(彼女の家は宝石店を営んでいる)の番犬してるんだけど、動物好きのあなたならすぐに仲良しになれるはずだし・・・などなど・・・」
 私の頬に押し当てられた彼女の唇からそうした言葉が発せられるうちに、静かに走り出したミラノ行き国際急行列車。この列車は途中夜中の2時過ぎにディジョンに停車するだけの、ほとんど直行便・・・・。私はアレックスの言葉をさえぎって、「どうやら、そのすべてを知ることになりそうなんだけど。アレックス、列車は走り出しちゃったよ。私、明日、パリ郊外のヴァンセンヌに行く用事があるんだけど、どうすればいいの?」
 アレックスは両手を私の肩に置いたまま、のけぞるようにして私の目を覗き込みました。少し間をおいて、私は最上級の笑顔で応じ、そして私たちは笑い転げ、フランス人がよく使う表現 C'est la vie!(これが人生さ!)っていう言葉を連発!本当は翌日のヴァンセンヌの用事はかなり重要だったんだけれど、退屈な日常から逸脱できそうなこんなアクシデントに、私の心はすでに傾いていたのです。
 「いつもパスポート持ち歩いてたよね?」と、アレックス。「うん、両替なんかのときに必要だし」と、私。
 「わかった。あとはまかせて!」と、コンパートメント(車室)を出て行ったアレックスは数分後に戻ってくると、「幸いにも車掌はイタリア人だから、なんとかなりそうよ」と微笑んだ。
 私たちのいたコンパートメントにやって来た車掌に対して、アレックスがイタリア語で早口にまくし立てる。何をいってるのかわからないけど、ほどなく車掌が「Gratuite!(君はタダ!)」という言葉を残して去って行った。
 「どうなってんの、アレックス?」と、私。
 「つまりね、あなたは望んでこの列車に乗ったんじゃないのよ。ミラノに行きたくてここにいるんじゃなく、思わぬことからこんな事態になったわけよ。私はそれを車掌に説明したのよ。そしたら、そんなことなら仕方ないって、彼も納得してくれたのよ」。
 アレックスの主張は、私にはほとんど説得力のないものに思えるのだけれど、これがすんなり通ってしまうのだから、さすがイタリア人!もちろん私は車内で切符を買う気でいたけれど、タダでいいと言われりゃ、そりゃあもう、喜んでそうさせていただきます!
 結局のところ、アレックスはこんな形で(本人は意識してなかっただろうけど)、私に「異文化」を見せ付けてくれたのでした。

 ミラノで彼女のご家族にやさしく迎えられ、とりわけアレックスの妹と私はすぐに打ち解けて仲良しに!ママのおつかいで二人で近所のスーパーへ行き、余計なものまでたくさん買い込んで家へ戻ると、ママのイタリア料理講座の始まり。私は料理が趣味で、友人たちにはしばしば手の込んだメニューを食べてもらっていますが、中でもイタリア料理には定評があるものと思っています。その秘訣は、ママ直伝の本場のレシピにあるんですよ。
 パパの車で宝石店を訪れ、番犬のドゥカに対面した私は、ムツゴロウさん状態。この滞在の間にアレックスの失恋事件なども起こり(彼氏のロベルタから「くやしかったら痩せてみろ!」という捨て台詞で別れを告げられたアレックスの涙にも付き合い)、ミラノ観光にも精力的に出掛け、慌しい時を過ごした私たち。そして再び、今度こそさよならをいう時が訪れました。

 アレックスとその陽気な家族に見送られ、パリ行き国際列車に乗り込む私。もう一度あの愉快なアクシデントが起きないものかと、心のどこかで期待していたのだけれど、ホームで手を振るアレックス一家のお見送りに精一杯応える私を乗せて、ミラノ発パリ行き国際列車は、静かに走り出したのでした。 

 
 Img_1825_1 アレックスの家の中庭で、彼女を撮影(ピンボケで御免)。とってもやさしそうでしょ。アレックス大好き!イタリア人大好き!イタリア料理もグッド!イタリア万歳!! またいつの日か会いたいね、アレックス!      
 
 

 
 
 

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2006/04/15

Pepiteの美的な日々:ギリギリの桜の宴

Img_1773_  4月14日、近所の地味~な公園で、毎年恒例のド派手なお花見会が凍えるほどの寒さの中、催されました。多いときには参加者が40人を超えたこともあるこの不思議な会も、今年は日程が突然決まったことや、寒さもあってこぢんまりとしたものに。桜のほうも葉っぱ混じりのギリギリ状態。まあその分、濃密な盛り上がりをみせるわけですが・・・・

 さて、毎回私たちの会には大物ゲストを招いていますが、今年は有名カリスマ占い師のH先生をお招きしました。先生に今年の運勢をみていただき、地獄行きが確定した私などは、大いに酒がすすむというものです。また先生にはちょっとした変装をお願いし、極寒のお花見会を大いに盛り上げていただきました。
  H先生、お忙しい中お越しくださり、本当にありがとうございました。

 もちろん今回もヨン様が駆けつけてくれましたが(「忘年・クリスマス会」参照)、そんなわけですから、人気はH先生が独占状態。気を悪くされたヨン様は、いつの間にか帰ってしまわれたようです。
 会も中盤から、大変アクティヴなものになり、公園の遊具で大暴れ。乗り物に乗り、鉄棒でグルグル回り、おかげでお酒も勢いよく回り、フラフラに・・・・
Img_1740 そしてあまりの寒さに、今回はいつになく早目のお開き。ご近所から騒がしいと苦情が出る一歩手前で、見事逃亡!
 来年は読者の皆様も是非ご参加ください。

 このお花見会の模様はサイドバー(→)にて公開しておりますので、ご覧くださいませ。

 

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2006/04/09

Pepiteの美的な日々:和太鼓発表会

Pepite大健闘!

Img_1695  和太鼓を始めて半年、ろくに音も出せなかったこの私も、なんとか少しは格好がつくようになり、それでもまだまだ未熟な演奏を、恥知らずにも人前で披露する機会に恵まれました。
 いや~、緊張したわ。舞台に立つなんて何年ぶり?実家は日舞の名取で看板掲げてて、私もそんな家の娘として、幼い頃から踊りや三味線やなんやら、強制的に仕込まれてきたわけだけど、それはもう苦痛でしかなく、ともかく一刻でも早く家から逃げ出すことを計画し、進学やフランスへと逃げ続けてきたのよ!
 だから本当のところ、この種の舞台は経験がないわけでもないんだけれど、私自身が自ら望んだ舞台に立つのはこれが初めて。ということで、ほんと、緊張しました。
 長女の私は、本来なら渋い着物着て、家を継がなけりゃならないんだろうけど、どちらかというと、というより完全に、私は西洋趣味。西洋のバレイにクラッシック音楽、バロック絵画にヨーロッパ映画というふうに、愛するものはすべて洋もの。家風にひたすら逆らって生きてきたのです。

 そんな、本来の意味での私の初舞台は、緊張のあまり、あり得ないところでミスしたり、散々でしたが、観客の皆さんも、そして先生も、私が一番楽しそうに元気一杯演奏してたと、好感を持ってくれました。確かにノリノリでしたよ、私。

 ところで、つい最近、友人の薦めで読んだ「負け犬の遠吠え」という本によると(この本による負け犬とは、いい歳して結婚もせず、子も生さない、自分中心の存在)、負け犬は和の文化にハマりやすいとか・・・・
 結婚による新生活や子育てに追われることもない自由な負け犬は、当然時間がたっぷりあるわけで、フラメンコを踊ったり、刺繍の大作を仕上げたり、私のように和太鼓を打ち鳴らしたり、大学院に進学したりするものです。
Img_1692 とりわけ負け犬たちが、和の伝統芸能にハマるのは、今さらピアノはできないし、油絵なんて描けそうもない、ましてやクラシックバレイなんてもってのほか、ということで、なんとなく入りやすい、和の文化に染まってしまうのですよ。
 著者の酒井順子氏によると、負け犬たちは一人で生きていかなければならないため、それ相応に仕事のキャリアも収入もあるわけで、しかもそれが子供の学費などに費やされることもなく、自分のためにだけ、活用できるということです。

 勝ち犬である偉大な主婦たちが、子供の髪を洗ってるときに、負け犬はアロマオイルをたらしたお風呂にのんびりつかっていられるし、エステや海外旅行、グルメな散策なども楽しめる、深夜に帰宅しようと、朝帰りであろうと、うるさく言われることもないという自由あるがゆえ、負け犬たちは、せいぜい自分磨きにせいを出せるのです。
 しかし、そこにはやはり自らが築いた家庭がないという孤独がつきまといます。遠い将来は「孤独老人腐乱死体」として発見される自分も見えるわけで、負け犬の人生も楽しいばかりではないのだと、ひしひしと感じる今日このごろであります。
 それでもまあ、負け犬は負け犬として、大いに人生を楽しもうという開き直りで、和の文化にハマり、外国にもそろそろ飽きた、一人旅を愛する私のアッパレな負け犬ぶりを、和太鼓発表会という典型的な例として、皆様にお披露目いたしました。
 Img_1699そして願わくは、私という負け犬の遠吠えが、末永く美的であらんことを・・・・


 P.S:私のヘタな演奏を聴きにきてくれた皆さんに心から感謝します。ありがと~!あなたたちは全員、私の生涯の親友よ!!ヘタクソでも元気に満ち溢れた私の演奏は、きっと皆さんの記憶に残るはず?・・・
ソーレッ、ヤー!!

Img_1708

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