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2006/03/31

Pepiteの美的な日々:冬眠から目覚める!

アウトドア

 (神戸花鳥園の記事及び写真はサイドバーへどうぞ→)

 寒さに弱い私は、毎年冬になると引きこもり生活を続けます。そのせいか、今期も体重が3キロ増。といっても、嘆いているわけではありませんよ。なぜなら、春の訪れと共に始まるアウトドアライフが、私の身体の目方をきちんと修正し、ついでに悲劇にあえぐ重苦しい心を、少しは軽くしてくれるからです。
 そんなわけで、これからの時期、いつもは陰気な私のブログにも、活気に満ちた記事を載せることができるのではないかと思っています。私は四季の中で春が一番好きなんです。生きる喜びを心底感じることができるのはこの季節。夏は暑いし(酷暑も苦手)、秋は物悲しく孤独を感じなければならないし、冬についてはすでに述べた通り。
 美的な悲劇を期待してアクセスしてくださった方には申し訳ないですが、私の生命のバランス(年中悲劇では身が持ちませんから)を、できれば思いやっていただき、ご一緒にこの美しい季節を楽しみましょう!

Img_0892_1  さてさて、私のアウトドアといえば、乗馬にバードウォッチング、そして魚釣り。そのすべてを満たしてくれるのがキャンプです。野山に出掛け、馬で走り、鳥のさえずりを聴き、新鮮な食材(魚、山菜)を自らの手で獲得するといった野性的なひとときを、私は愛してやみません。
 そんな私に付き合って一緒に出掛けてくれるのは、女友達ではもっぱら鈴木さん。この鈴木さんとは、北海道のキャンプ旅行をしたり、九州の古墳を訪ねたり、近場の野山へ出掛けたりと、いつも楽しく過ごしています。
 野生人の私は、このような場合のパートナーとして、いわゆる「女の子」をちょっぴり面倒に感じるんです。虫がこわいとか、ここトイレがないじゃない!とか、髪の毛を乾かすドライヤーは使えないの?なんて言われると、かわいいなとは思いつつ、連れてこなけりゃよかったよと、感じずにはいられません。
 その点、鈴木さんは申し分のないパートナー。それを実感したいくつかの出来事を、ここで紹介しましょう。

Img_1599   まず、初めて一緒に北海道旅行をした時のこと。山道を登り、釧路湿原の展望台に辿りついた私たちは、互いに写真が趣味であることもあって、それぞれに思い思いのアングルで、広大な湿原の様を撮影しておりました。そこへやって来たなかなか美男美女のカップル。男性のほうは、その持ち物(かなり高級なカメラ)から、彼の趣味が私たちと同様に写真であることは疑いようもありませんでした。そうして撮影を始めた男性でしたが、ほどなく小さい羽虫の大群が展望台を満たし、うるさく私たちの周りを飛び回りはじめます。その男性のパートナーである美人は、「キャー、もういや!何これ?早く行きましょうよ!!」と言って、渋る男性を強引に展望台から連れ去り、そそくさと帰って行きました。
 せっかくここまで登ってきて、湿原の絶景を撮影できなかった男性に同情しながら、私はふと鈴木さんのほうに目を向けました。すると、見たこともないような虫が鈴木さんの顔にふたつほどとまっていましたが、特に気にするふうはなく、カメラを覗きこんでおりました。ああ、このひとと一緒でよかった!!と、私は心から感じたものでした。

Img_1593_1  そして翌日の乗馬。この日は車では入れない獣道を馬で散策するプランで、釧路の鶴居村にある牧場の馬に乗り、別の角度からの湿原へのアプローチを試みました。お弁当を持って午前中に出発し、夕方牧場に戻るというかなりハードなスケジュールで、しかも険しい道を恐る恐る進んだ私たち。道中、私の馬がハチに刺されて興奮し、鈴木さんの馬に突進して、落馬するというアクシデントにも見舞われましたが、人馬とも怪我はなく、普通の観光旅行では決して観ることのできない、そして知ることのできない釧路湿原の奥深い美しさに触れることができました。
 さて、道案内をつとめてくれた牧場の男性(イケメン)が、「ここで休憩し、少し馬を休ませましょう」と言って、絶景のポイントで止まってくれました。私と鈴木さんは馬を木に繋ぎ、360度のパノラマを楽しみ、空腹を満たし、幸福なひとときを過ごします。そこへ、道案内のイケメンがやって来て、申し訳なさそうに言うのでした。
「あの、ごらんの通りのところですから、もちろんお手洗いの施設なんかはありません。もし必要があれば・・・、離れた藪の中で用を足してください・・・・」
Img_1594_1  もちろん彼は、にこやかにうなずく私たちが、ここで馬を繋いだあと何のためらいもなく一番にしたことが、野ションであったなどとは、知るすべもありません。

 そしてキャンプライフ。日中自然を満喫し、疲れきって戻る私たちの寝床は、簡素な山小屋かテントを張った大地の上。安全を考慮して、きちんとしたキャンプ施設内での宿泊ですが、エゾシカやキタキツネなどが姿を見せたり、北海道を体感できる環境です。
 キャンプ場の管理棟には、入浴の設備もあり、多くの場合それはシャワー室なんですが、100円玉を入れると、一定時間(あるいは量の)お湯が出るという仕組みになっています。
 管理人のおじさんが、シャワーの使い方を説明してくれたとき、「お湯が切れたらまた100円入れればすぐに出ますので。それからそこの両替機で100円玉にかえて、何枚か持って入ったほうがいいですよ。だいたい女性は300円ぐらいかかるようです」と親切に教えてくれました。もちろん、キャンパーの私たちはそんなこと知っているわけですが、「どうもご親切に、ありがとうございます」と、女の子らしくにっこり笑って応対しました。
「鈴やん、100円玉ある?」と、私。
「ちょうど二枚あるけど」
「じゃあ一枚貸して」
「うん」
 そしてそれぞれのシャワールームへ。

 5分後、管理棟のロビーのソファーにゆったり腰掛けて、濡れた髪をタオルで拭きながら缶ビールを飲む私たちに気付いた先程のおじさんは、まるで幻を見たかのような驚きを隠し切ることができなかったようです。
「お湯余ったわ」と、鈴やん。
「そうだよ、もったいない。二人で一緒に入ればちょうどよかったね」
という会話が、おじさんの耳に届いたかどうかは知らないけれど・・・・。

 
Img_1603  私も鈴木さんも、本来は一人旅派。いろんな国をひとりで旅してきた私たちは、一緒に出掛けても、異なる目的を持つこともしばしばで、普通の女の子同士のようにべったりと四六時中一緒というわけではありません。そんな点も互いに合っているのだと思います。
 私の周りのかわいい女の子たちは、一緒に旅行に出掛けると、まずはすごい荷物で(どこ行くのよ?)、旅行中も髪のセットがきまらないとか、あの服持ってくればよかったとか、ほんの小さな虫にギャアギャア言って、買い物ばかりしてるものですが、鈴木さんとなら、上述のように、そんな心配はいりません。
 今年もその鈴木さんとアウトドアを楽しむ予定です。その他にも、馬仲間のSALAさんとは4月中旬に、ウエスタン乗馬で遠乗りを企画しています。そして何よりも、明日は私のブログの読者でもあるファズさんと私の友人とで、神戸の花鳥園を訪れ、かわいい鳥たちと至福の時を過ごすことになるでしょう。
 とまあ、そんなわけで、根暗な私が期間限定でその性質を変え、明るい日差しのもとで活動することになりそうですが、正統派の読者の皆様は、私のブログの方向性が変わったというふうには、どうか捉えずにいただきたいと願います(笑)。

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2006/03/23

Pepiteの美的な日々:ブルーな気分

 派手な音で鳴り響く目覚まし時計の騒音を一刻も早く止めようと、目を開けずに手探りで時計を取り上げ、スイッチをさがす私。そして寝ぼけた手から時計が滑り落ち、右の頬骨のあたりを直撃。「痛っっ!!」 これが私のとある一日の始まり。
 窓を開けるとどんよりとした曇り空。私はこの日、午前中に遅咲きの梅を写真に撮る必要があって、近くの公園に行く予定でした。ついてない一日を予感したわけですが、その直後に、テレビの占いが私の星座について「運勢急上昇!」などと言うものだから、すっかり気を取り直し、我が家の愛鳥たちにフランス風の投げキッスを贈り、機嫌良く出掛けます。
 マンションに住む私は、最近の運動不足を懸念して、エレベーターを使わずに、階段を降りてゆくことにしました。そしてそんな健全な選択が裏目に。私はなぜか濡れた階段に足をすべらせ、急降下。ちょっと!急上昇じゃなかったの?!と、予想された運勢に大いに疑問を抱きながら、建物の外へ出ます。
 それからほどなく、なんとか持ちこたえるだろうと思われた天候が悪化。激しい雨に見舞われ、引き返すことに・・・・
 これが週末の出来事だと言えば、勘の鋭い我が読者の皆さんには、その後私が悲劇の馬券に打ちのめされたということを、あえて説明するまでもないでしょう。

 しかし、不運に慣れ親しんだ私は、これしきのことでそんなに落ち込むことはありません。
 とはいえ、やっぱり気分はブルー。決定的な悲しみや嘆きを味わうというのではない、ブルーな気分というのは、程度の差はあれど、誰の生活にもあるものですね。
 さて、ここからが本題です。私たちが比較的慣れ親しんでいる言葉<ブルーな気分>と言うときの「ブルー」は、「憂鬱な」とか「沈んだ」とかいう意味で使われています。この場合の「ブルー」の出典は、英語のようです。
 英語の「blue」はこうした意味を含んでいます。楽しい週末を過ごした後におとずれる月曜日をブルーマンデーと言ったり、女性に特有な不快な日々をブルーデーと言ったりもして、英語の「blue」は、今では私たちの生活に馴染み深い表現になっているようです。
 ところが、色によってイメージされるものは、国(文化)によって異なる場合があります。私の好きなフランス語の「ブルー/bleu」には、英語が持つような意味はありません。むしろフランス語の「ブルー」には、物事をあまり深く考えない極楽トンボ的なイメージを感じます。
 例えば、n'y voir que du bleu (何にも気付かない、つまり、ぼーっとしてる)などという表現もあり、英語とは全く異なる意味をもつことに、驚きます。
 では、私たちの日本語ではどうでしょうか。これはもう皆さんご存知のように、「青二歳」とか「青臭い」などと言うように、「未熟な」とか「若い」とかいった意味で用いられていますね。

 英・仏・日と、<ブルー>の持つイメージは様々ですが、血の気を失って蒼ざめる、というような場合には、いずれも<ブルー>を使うことができます。これは、実際の顔色の視覚的なものから、共通のイメージになっているのでしょう。

 さて、前述のように、英語で言う<ブルー>な一日を過ごした私ですが、これをなんとかフランス語に置き換えて、まあいいか!という極楽トンボ的な気分で受け止めて、さらに日本語にも手伝ってもらい、こんなことで落ち込むなんて、まだまだ未熟な証拠よ、というふうに、まとめてみました。
 色にもいろいろあるようです。それと同様に、ある出来事の捉え方にも、いろんな見方があるのでしょう。物事は決して一面的なものではなく、多角的に見つめる必要があるのだと、青臭く、未熟な私は、こんな例から感じるのでした。
 
  
 

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2006/03/16

花になった美少年たち・後編(ギリシャ神話)

「ヒアキュントスとアドニス」(後編) (前編)

アドニス(アネモネ)

 ヒアキュントスが男の神々に愛され、その獲得をめぐって争いが生じたことに似て、アドニスは、女神たちの心を虜にしてやまぬ美少年でした。
 ヒアキュントスの場合と同様、二人の女神がこの美少年を奪い合います。最初にアドニスに目をつけたのは、美と愛の女神アフロディテ。シリアの王様の子として生まれたアドニスの美しさにすっかり魅せられた女神アフロディテは、この美少年をこっそりと連れ去り、地下に住む女神のペルセフォネに預け、育ててもらうことにしました。ペルセフォネの地下の御殿で大切に育てられたアドニスは、さらに美しい若者として成長し、いつしかこの女神ペルセフォネの心をも虜にしてしまったのでした。
 そんなわけですから、美と愛の女神アフロディテが地下の国を訪ね、アドニスを引き取ろうとしても、ペルセフォネはこの美少年を手放そうとはしません。二人の女神は互いに憎しみ合うようになり、収拾のつかない事態となりました。
 ここで偉大な神、天の支配者であるゼウスが登場します。ゼウスはこの争いを鎮めるため、一年を二分し、アドニスが秋と冬の間を地下の世界で女神ペルセフォネと共に過ごし、春と夏を女神アフロディテと暮らすという提案を出します。互いにアドニスを手放したくない二人の女神ですが、この提案を受け入れる他はありませんでした。

 地上に戻ってきたアドニスを迎えた愛と美の女神アフロディテの喜びは、たとえようもないものでした。アフロディテは美少年アドニスにつきっきりで、彼を片時もそばから離しませんでした。狩を愛するアドニスが獲物をさがして野山に出掛けるときも、その姿を愛しげに眺めながら、アフロディテは敏捷な若者の後を追ったものでした。
 ところがある時、女神アフロディテがちょっと目を離したすきに、アドニスは仕留めようとした一頭の大きなイノシシの牙にかかってしまいます。急いで駆けつけたアフロディテでしたが、流血し、死にかけた美少年をどうすることもできませんでした。
「アドニス、あなたは死んでゆくのですね。あなたとともに私の美も消えてゆくでしょう。女神の私は死ぬことができないので、あなたについてゆくこともかないません。アドニス、どうか最後に、別れの口づけをしておくれ」
 女神アフロディテの呼びかけは、死にゆくアドニスにはもはや届きません。アドニスの血に染まった土の上には、春が来るたびに真紅の花が咲き乱れました。ギリシャの女たちはそれをアドニス(アネモネ)と呼び、草木が枯れる秋冬には美少年アドニスの死を思って嘆き、春が訪れてアドニス(アネモネ)が咲きはじめると、美少年が生き返ったといってお祝いをするのでした。

 
 ナルシス、ヒアキュントス、アドニスという、いずれも若くして命を失った美少年たちの悲劇には、その忘れ形見として、それぞれに美しい花々が残されました。やせた土地の多いギリシャでは、野の花々が愛され、こうしてしばしば神話の題材にもされたようです。
 これらの花々の好みは別として、私の心をとらえるのは、やはりナルシスです。ナルシス神話は、ヒアキュントスやアドニス神話とは完全に異なる性質の物語です。ヒアキュントスとアドニスが神々の寵愛を得て、短い生涯を幸福に暮らしたことに対して、ナルシスは冷たく言えば自業自得の孤独の中に生きなければなりませんでした。
 ヒアキュントスとアドニスの物語の悲劇は、もっぱら彼らを愛し、そして彼らを失った者たちの悲しみに重点を置きます。その逆照射として、彼らの美がさらに決定づけられるという仕組を持つものです。
 これに対してナルシス神話は、ナルシスそのものが悲劇的存在で、そこに映る彼の美は、先の二人の少年たちには無縁であった暗い影に彩られます。他者の賞賛を必要としない美など、私たちはこの先何十年生きようと、そう簡単にお目にかかれるものではないでしょう。
 私はここではっきりさせておきたいのですが、このナルシスは今の世でいうナルシストとは異なる悲劇の存在です。昨今のナルシスたちが、常に他者の賞賛を必要とし、それをよりどころにしてしか自らの愛を築けないのに比べ、神話の美少年ナルシスは、完全無欠の孤独を受け入れ、その不毛の愛に命を捧げたのですから。その評価がどうであれ、この徹底した悲劇の物語は、私の心に深い印象を刻みます。
 
 花に姿を変えた三人の、いずれ劣らぬ美少年たちの神話について述べましたが、悲劇愛好家の私が、この三人の中でより悲劇性の度合いが高いナルシスを支持するのは、当然のことでしょうね(笑)。
 けれども残念なことに、ナルシスの化身の水仙は、私の好みの花ではありません。三種の花の中で私が最も好きなのは、アドニス(アネモネ)です。そしてたぶん、実生活でも私が愛する男は、ナルシスではなく、むしろアドニスなのかもしれません。

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2006/03/09

花になった美少年たち・前編(ギリシャ神話)

 花になった美少年で最も有名なのは、永遠の純潔、完全な孤独を象徴する美少年ナルシス(ナルキッソス)でしょう。このブログでも昨年11月14日に「美少年ナルシスの神話」で紹介しましたが、今でもこの記事が当ブログの人気NO.1の地位を保っています。これはもちろん、美少年ナルシスが時空を超えて今なお人々に愛されていることを意味するもので、私の出来損ないの記事は、そんな彼の人気の恩恵を受けたというにすぎません。
 ところで、あまりにも有名なこの悲劇の美少年の陰に隠れて、ほとんど目立たなくなっている二人の美少年がいます。彼らもナルシスと同様、若く美しい肉体を花に変えるのですが、ナルシスが生まれ持った性質から、人交わりのない孤独な生を宿命づけられていることに対して、この二人の少年はとても朗らかで、誰からも愛される幸福者でした。若くして命を奪われる彼らではありますが、そんなことから、悲劇の美少年の王座を、ナルシスに譲らなければならなかったのかもしれません。

「ヒアキュントスとアドニス」 

ヒアキュントス(ヒヤシンス)

 ヒアキュントスは多くの神々、とりわけ男の神々に愛された美しい少年でした。 彼は単に美しいというだけではなく、スポーツも万能で、戦にも強く、朗らかで申し分のない若者でした。
 そんな彼を従者にしようと熱望し、争ったのはゼフロスとアポロン。ゼフロスは西風の神で、アポロンは偉大な神ゼウスの子の中で最も男性美を誇る神。この争いでは、美貌の神アポロンが勝利し、ヒアキュントスを自分の従者にします。これでヒアキュントスをめぐるゼフロスとアポロンの戦いは、一見幕切れを迎えたようにも感じられますが、必ずしもそうではありませんでした。しかしそのことは、また後ほど・・・・

 ヒアキュントスを得たアポロンは、どこへ行くにもこの美少年を従わせます。美しく、優れたこの若者の従者はアポロンの自慢で、彼はこの上なくヒアキュントスをかわいがりました。
 ある日、いつものように連れだって出掛けた二人は、円盤投げをして遊ぶことにします。言うまでもなく、力に恵まれた神であるアポロンは優秀な投げ手であるわけですが、ヒアキュントスのほうも負けてはいません。しまいに二人は競技場の西と東にわかれて、どちらが遠くまで円盤を投げることができるかを競いはじめます。
 まずはヒアキュントス。美少年の投じた円盤は、力強く、高く遠く飛び、アポロンの足元に落下します。それを拾い上げたアポロンは渾身の力で、ヒアキュントスに向けて投げ返します。あまりにも高く飛んだ円盤は、雲を突き抜けたところで、かつてアポロンとヒアキュントスを奪い合って敗れた西風の神ゼフロスの目にとまります。二人に恨みを抱くゼフロスは、これを願ってもない復讐の機会ととらえて、強い風を吹き送ったのでした。
 ゼフロスの悪意の風に流されて、円盤はあっという間にヒアキュントスの頭部を直撃します。真っ青になって駆けつけたアポロンが目にしたものは、横たわり血を流す愛する少年の無惨な姿でした。
 アポロンはヒアキュントスを抱き上げましたが、もはや手遅れでした。美少年はアポロンの腕の中で、死に絶えようとしていました。ヒアキュントスを抱きしめて、アポロンは叫びます。
 「なんということをしてしまったんだ!こんな美しい若者を私は死なせてしまうのか!それができるなら、私が代わりに死んでいきたい」
 アポロンの叫びが響き渡ると、ヒアキュントスの血潮に染まった草が青々としてきて、そこから一本の美しい花が咲き出しました。
 アポロンはその花を、愛した少年の化身とし、ヒアキュントスと名づけたのでした。


 この古代ギリシャにおけるヒアキュントス(ヒアシンス)は、私たちが見知っているヒアシンスとは違う種類の花だったようです。 ヨーロッパの神話研究者として名高い山室静氏の著作『ギリシャ神話』(現代教養文庫)によると、ユリやアイリスに似た、真紅の花ではないかということです。
 それはともかくとして、この神話にも色濃く表されているように、古代ギリシャでは、男性の肉体美こそが至高の美として評価に値するものだったようです。精神性などに重きをおかず、明快な外面の美の勝利が確信される世界。私はそれを非常に清潔で、明晰なものに感じます。
 次回は花になったもうひとりの美少年、女神たちにこよなく愛されたアドニスの悲劇を紹介し、私なりのまとめを記します。

花になった美少年たち(後編)

  

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2006/03/01

美人論(井上章一著)

 「衛生美人と翼賛美人」

 私の座右の書は、井上章一氏(国際日本文化研究センター助教授)の『美人論』。美人をめぐる社会学といった感じの内容だが、江戸時代から今日までの美人のあり方、社会における美人の位置づけなどが詳細に研究されていて、美人好きの私には大変興味深い。しかもこの本、社会学などという難しいお題を考えずに読んでも、かなりおもしろいのだ。
 これまであまり語られることのなかった美人たちの歴史を、厖大な資料を手がかりに検証し、時代とともに変貌する「美人論」の形とその流れを浮き上がらせた著者のお手並みは見事というほかない。是非皆さんにもこの本を読んでいただきたい。
 今日はこの『美人論』に登場するディープインパクトな美人たちを紹介しよう。

 
 明治10年代の日本。この頃コレラが流行し、この恐ろしい伝染病に、様々な機関が総力をあげて対策を打ち出した。そのひとつが「衛生美人」という新たな構想だった。
 「衛生美人」という美人観を提唱したのは、大日本私立衛生会という団体。私立といっても、国家の衛生行政につながる大組織だったそうである。
 この大日本私立衛生会が打ち出した衛生美人構想とは「旧来の美人は細い体系を理想にしすぎている。あれではダメだ。不健康になりやすい。だから世間の美人観を変える必要がある。顔はどうでもいい。身体ががっしりして健康的なものを美人と呼ぶことにしよう」という、おそるべきものだった。そしてさらに、大日本私立衛生会の会員が率先して衛生美人と結婚すれば、世間の美人観もやがて変わってゆくだろうという、ものすごい提案も出されたようだ。(著者の井上章一氏は、はたして会員たちのどれくらいがこの提案を真に受けて「衛生美人」と結婚したのだろうかと心配している)。
 それにしても、当時私のような皮肉な人間がいたら、ただちにこの「衛生美人」を不美人の代名詞にしてしまったはずである。実際、「衛生美人」という呼び名は、私が感じたような意味で流通してゆくことになる。大日本私立衛生会の努力にもかかわらず、「衛生美人」という観念は普及しなかったのである。

 昭和15年にも、衛生美人と似たような新たな美の提唱がなされた。昭和12年にはじまった中国との戦争が泥沼化し、昭和15年に近江文麿内閣が成立するのだが、近衛内閣は戦争泥沼化という難局を乗り切るために、様々な政策を打ち出す。そのひとつとして、大政翼賛会が結成された。そしてこの大政翼賛会の国民生活指導部長であった喜多壮一郎は、人々の美人観を戦時向きに改めようとして、美人観の刷新を訴えたのだ。
 翌年1月20日には「新女性美制定第一回研究会」が開かれている。その会合に招かれたのは、厚生省、文部省の技師、産科医、画家、体育関係者、舞踏家など。そして翌日の新聞には、この会で決められた翼賛(よくさん)美人の「十則」が発表される。

  一.顔と姿の美しさ、それは飾らぬ自然から
  二.清く、明るく、朗らかに、心の動きはいきいきと
  三.言葉はやさしく、美しく
  四.食べよ、たっぷり、肥えれよ、伸びよ
  五.顔色つやつや日焼けを自慢
  六.身体はがっちり、豊かな胸元
  七.身体の重みを支えてうける大きな腰骨たのもしい
  八.働け、いそいそ疲れを知らず
  九.眠れぐっすり、夢見ずに
  十.姿勢正しく、さっさと歩け 

 驚くべき定義である。こんな美人は、私なら見たくない。しかしさらに「翼賛美人」の提唱はさかんになり、一週間後の新聞には次のような記事が載る。

 指導部では各方面の意見を参考に、翼賛型美人をマネキンに作り、大いに一般大衆を啓蒙することになった。(大阪毎日新聞1941年1月31日付)

 このマネキン、一体どんな姿をしていたのか是非とも見てみたいのだが、『美人論』によると、「記録がない」ということである。そしてもうひとつ、3月11日付の朝日新聞は次のようなニュースを伝える。

 群馬県では翼賛美人を求めて、県下の女性検査を行う。各市町村で18歳から20歳迄の女性のうち、体格、素行のいいものを選び、理想的な美人型を選定し、県衛生課が等位を判定する。

 つまり、翼賛美人のコンテストである。はたして、どんな美人が選ばれたのだろうか。優勝した美人は、自分の勝利に酔いしれることができたのだろうかと、著者は疑問を投げかける。
 その後、内閣の改組により大政翼賛会の機構は矮小化され、翼賛美人のキャンペーンも消滅する。「美人新体制運動は一応の役割を果たしたものとして、改組と同時に消滅」と当時の記録にあるそうだ。

 「衛生美人」も「翼賛美人」も、こうして社会に定着することはなかった。ありがたいことに!
 ここでは『美人論』のほんの一部を紹介したが、他にも興味深い事象や著者の考察が盛りだくさんである。今日の美の民主主義化に至った流れを解明する数少ない(たぶん他にはない)貴重な書物として、重ねて皆さんにおすすめしたい一冊である。
(なお、この記事はとくに「衛生美人」と「翼賛美人」にスポットを当てたものとして、「悲劇のコレクション」に収めることにした)。 

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