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2006/01/29

アルルの女(アルフォンス・ドーデー著)

                 「美と倫理」

14daudet  フランス語を勉強しはじめて、一通り文法学習を終えた頃、私が初めて接した原文の文学作品はアルフォンス・ドーデーの『アルルの女』だった。憧れのフランス文学の世界をようやく原文で味わうことができるという喜びをかみしめながら、これまでの苦労が報われると信じて開いた本。
 しかしそこには、さらなる苛酷な勉強を私に強いる見知らぬ言葉がひしめいていた!。辞書を引き引き、一向に進まぬように思われる読書量にうんざりしながら、それでも日々新たに発見するフランス語の表現に魅せられた遠い昔・・・。
 ドーデー著『アルルの女』は、私にとってフランス文学の最初の一ページを飾る、思い出深い作品である。

 南フランスの牧歌的な村カマルグで、農家の長男として大切に育てられたフレデリーは、カマルグから見ると都会のアルルに住む美しい女と恋に落ちる。カマルグのような村の住人にとってアルルは「街」と言われる大都会で、そこでは、素朴な村の暮らしからは隔たった複雑な生活様式が存在し、田舎に住む人々はときにそれを得体の知れぬものとして恐れているようである。
 農家の跡取り息子のフレデリーが、「街」の女を娶ることを望んだとき、家族はその選択に当惑する。擦れた「街」の女よりも、農家の仕事をこなせる田舎育ちの女のほうが嫁としてふさわしいと感じるからだ。しかし、恋の虜になった若者に、そんなことを言ってきかせても、どうにもならない。
 だが婚礼が決まりかけた時、近くの村で馬の世話をする青年が、アルルの女と数年来情を通じていることが露呈する。フレデリーは打ちひしがれて、コケット(あばずれ)なアルルの女を忘れようと、素朴で心のやさしい村の娘ヴィヴェットを愛そうと努力する。
 そんな折、フレデリーは、アルルの女の情人が彼女を遠くへ連れ去ろうとしていることを知る。アルルの女を忘れることのできないフレデリーは、嫉妬と絶望に気を狂わせ、バルコニーから身を投げる・・・・。

 いうなれば、都会のすれっからしの女が純朴な農村の青年を誘惑し、恋の虜となった青年が破滅するという、ありがちな物語。しかし、このような激しい情熱が南仏ののどかな風景の中に描かれることにより、悲劇がいっそう際立つものとして、読者の胸に迫ってくるのである。また、作中で語られる村の風習や伝統行事などが、この物語に味わいある奥行きを与えていて、とても興味深い。

 実は、この物語で私の心をとらえた悲劇は、フレデリーを死へと追いやった悲恋の情熱ではなく、彼の家で羊飼いとして働くバルタザールという孤独な年配の男の、恋の物語であった。
 ある時、フレデリーはこのバルタザールに、アルルの女への絶望的な愛に苦しむ自分は、もうこれ以上生きていたくないと打ち明ける。青年の嘆きを受けて、バルタザールはかつて同じような激しい恋心を、一人の女性に抱いた自分の経験を語りはじめる。
 バルタザールが二十歳の時に雇われていた家の奥さんは、とても美しい人で、若い彼はすぐに彼女に夢中になった。だがバルタザールの素朴な心は、この道ならぬ愛を押し殺すことが自分の義務だと自らに言い聞かせ続けた。バルタザールとその夫人は、互いに惹かれ合いながらも、一度も愛を語り合うことはなかった。ただ、彼が一人きりで牧場にいるような時、彼女はやって来て、彼の隣に座り、本を読んできかせたりした。
 ある日彼女が言った。「ここから去って。私はあなたを本当に愛してしまったから」。
 バルタザールはその村を去り、フレデリーの家の羊飼いとして雇われることになる。以来、二人は一度も会うことはなかった。「しかし私たちは遠く離れ離れになったわけではない」、とバルタザールは言う。なぜなら、あれからどれだけの年月が過ぎ去ろうとも、彼女のことを思うたびに、こうして涙が溢れてくるからだと。 
 
 フレデリーのドラマティックな恋愛事件とは対照的な、バルタザールの恋の思い出。強い倫理観がこの恋の成就を許さなかったが、それは倫理が愛に勝ったということではない。バルタザールが自分の義務をまっとうしなければならぬという信念に支えられ、長い年月苦しみに耐え抜いたのだとしても、倫理はついに彼の心から、この愛を消し去ることはできなかったのだから。
 
 悲劇といえば、欲望をつらぬき、運命に翻弄され、やがてはセンセーショナルな結末を迎える場合がほとんどだが、バルタザールの恋のようなスタティック(静的)な悲劇の美も、地味とはいえ、なかなか捨てたものではない。
 とりわけ近頃では、欲望むき出しの、自己中心的な人物が引き起こす不快な事件や、小説の世界でも現代的なド派手な悲劇に出くわすようなとき、私はふと、この南フランスの牧歌的な景色の中でひっそりと生き続けた実直な羊飼いの恋の物語を、思い出すことがある。 

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2006/01/20

Pepiteの美的な日々:おせっかいな患者

 いつもは流行に乗り遅れがちな私だが、インフルエンザにだけはなぜか敏感に反応するらしい。今年も只今大流行中のA型ウイルスに見事感染し、39度5分の高熱にうなされ、大嫌いな病院に行く羽目になった。
 こんなとき、私が行くのは近所の○○○医院。ここは看護士の美人率0%のお寒い病院。もっと症状に余裕があるときなら決して選びはしないだろう。しかし高熱でめまいがする私にとって、もはやそんなことを言っている場合ではなかった。

 検査によって、インフルエンザの感染が確認された。私を診察してくれた医師は、白髪混じりの豊かな髪をした、まさにロマンスグレーの好男子だった。紳士的な物腰、思いやりのある言葉、私の額に手をあてて、「ほんとに熱いね、お湯でも沸かせそうだ」と言って笑ったときの少年のような瑞々しい表情。ああ、なんてかっこいいの~!と今の私が思うにしろ、その時は、これまた、それどころではなかった。

 点滴をうけることになった私が、ごっつい看護士に導かれて入った部屋は、点滴のための横幅の狭いベッドが並んだスペースと、看護士が書類を作成したり、あるいはなんらかの検査をするためのスペースとに二分されていた。そして建物の構造上そうなってしまったのだろうが、点滴の針を腕に刺して横たわる患者には、看護士の作業場が、太すぎる柱に邪魔されて、ほとんど見えない状態だった。もちろん看護士の側からも、柱を回ってこなければ、患者の様子を確認することはできないわけだ。
 なのに、不美人の看護士たちは、点滴を打つ患者には全然関心を示さない。「さあ、横になってください、どちらの腕がいいですか?わかりました、じゃあ右腕に。ちょっとチクリとしますよ」といって針を打ち込んで点滴が問題なくはじまったことを確認するやいなや、そそくさと看護士溜り(作業場)に引っ込んで、姿を見せなくなるのである。

 私がその部屋に入ったときには、すでに3名が点滴をうけていた。入り口から見て一番手前のベッドには老婦人、その隣には肌色の浅黒い屈強な肉体をした男性、そして空きベッドをひとつ挟んで、蒼ざめた顔色の不健康そうな若い男の子。
 私が寝かされたのは対照的な男性に挟まれた空きベッドだった。右隣は生きているかどうかさえ疑わしい蒼ざめた男、左にはいびきをかいて寝入っている屈強な男、そしてその向こうには老婦人。点滴のチューブをつけて横たわった私は、あまりの高熱に頭がくらくらし、鼻が詰まっていたため息苦しく、すっかり弱りきっていた。
 だが、私はここでゆっくり休むわけにはいかなかった。私の腕に針を刺した看護士が去ってから少しして、老婦人が声をあげた。「すみませーん、看護婦さ~ん」と、柱の向こうにいる看護士を呼ぼうとしていたが、その弱々しい声では届くはずもなかった。「看護婦さ~ん、点滴が終わりましたあ」ともう一度呼んだが効果は同じ。老婦人は焦っているように見えた。私は点滴のことなどまるで無知だが、液がなくなっても針を刺したままにしておくと、何か悪い結果になるのではないかと、その老婦人の態度から想像した。ここは若い私がなんとかしなければと思い、全身の力を振り絞って(39.5度の熱があったことを忘れないでいただきたい)「すみませ~ん!点滴終わりですっ!」と大声で呼んだ。
 ハイハイ、と看護士はすぐに現れ、おばあさんを病室から解放すると忙しそうにまた去って行った。ふと隣のいびきをかいて眠っている男性のほうを見ると、点滴の液体を入れたポリ容器の中身はそれほど残っていない。おそらくあと5~6分で終わるのではないかと気になた。ぐっすり眠っている彼がそれに気付かないとしたら・・・・私は目を閉じればそのまま深い眠りにおちてゆきそうなくらいにくたびれていたが、そんなことから、懸命に目を開けて、彼の点滴のポリ容器を見つめ続けた。そしてそれが空になったのを見届けると、またしても力の限りの声で、奥に潜んだ看護士を呼んだ。
 残るは一人。生きているのかどうかさえ疑わしい右隣の男の子。眠っているいないの問題ではない、生きてるか死んでるかといった具合なのだから、放っておくわけにはいかない。顔は燃えるように熱く、体は悪寒にふるえるという最悪のコンディションで、私はがんばり続けた。眠ってしまわないように空いた片手で頬を叩き、彼の点滴のポリ容器から最後の一滴がチューブに流れたことを確認し、看護士を呼んだ。

 生存すら疑わしかった男の子が、わりとしっかりした足取りで病室を去った後、自分に課せられた役割を終えてほっとした私は、まどろみはじめた。これでようやくゆっくり休めると思ったときに、今度は私の点滴が終わりを迎えようとしていた。
 私は最後の力を振り絞って、声を限りに叫んだ・・・・・・。

 

 ○○○医院にお願いしたい。せめて、呼び出しブザーつけてよ!

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2006/01/13

Pepiteの美的な日々:サン・ラザール駅の中国人

 パリに住んでいた頃、クロアチア共和国からの留学生であるヤドランカ(通称アダ)と私は大の仲良しだった。サン・ラザール駅近くの彼女のアパルトマンをしょっちゅう訪ね、二人で貧しい夕食をこしらえては、馬鹿げた話に花を咲かせ、笑い転げたものだ。
 アダも私もめっぽうお酒に強い(アダはお国のラキアというアルコール度80の強いリキュールを平気で飲んだし、洋酒ならなんでもOKの私も、すぐに彼女に見習った)。そんなわけで、私が訪ねると、アダの部屋にはたちまちワインのボトルやビールの空き缶などが転がる始末となったのである。
 もちろん彼女と気が合ったのは、お酒のためだけではなかった。アダはヨーロッパの芸術に通じた大変知的な女性だった。そのうえ彼女の話すフランス語は、少し耳につく変なアクセントを除けば、ほぼ完璧だった。一緒にお酒を飲んでいないときのアダは、私を美術館やオペラ、映画やコンサートに連れ出し、美的なものに一つでも多く私が触れられるようにと気を配り、様々な知識を伝授してくれるまたとない友人だった。彼女自身も、私という素直な生徒を得て、自分の教授力を発揮できることに喜びを感じていたようだ。

 こうして、薄いブロンドの髪に神秘的な青色の目をしたアダと私は日増しに親しくなった(彼女の両親は、その目の色から、娘をアドリア海にたとえて、アダと呼んだ)。私は他の日本人の友達や、フランス人の友達といることよりも、大抵はアダと過ごす時間を選んだ。そして彼女も大抵は私といることを選び、二人で恋のこと、それぞれの国のこと、毎週欠かさずに観ていたテレビドラマのこと、家族や友人のことなどを語り合い、いつのまにか朝を迎える日も珍しくはなかった。 

 そんなアダが、留学の期間を終え、故郷であるクロアチアに帰った後は、私のパリでの日々は急速に色褪せ、言い知れぬ寂しさに心が押しつぶされた。

 アダが去ってからしばらくして、私は用があって、サン・ラザールの界隈へと出掛けることになった。用事をすませると、私は今や空っぽになった彼女の住まいの前にいた。そして思い出に満ちたその周辺をあてもなくさまよい、サン・ラザール駅へと向かった。
 駅の構内をぼんやり歩き回り、土産物や雑貨を売る屋台の前で私は何気なく歩調を緩めた。そこに並んだ商品が私の気を引いたからではなく、少し歩き疲れてきたのだ。
 するとアジア人の店主のおじさんが、たどたどしいフランス語で、私に話しかけてきた。どうにか彼の言葉を理解した私は、「日本人です」と答えた。
 「私と妻はここに住む親類を頼って、中国から出てきたばかり」というようなことを、彼は言ったのだと思う。よく見ると、おじさんの傍らには、ふっくらとしたやさしそうな夫人がいた。
 「お嬢さんもパリに住んでるの?」と、おじさんは訊いてきたが、話が長引くのを面倒に感じた私は「Je suis touriste(私は旅行者です)」と答えて、その場を去ろうとした。
 ところが、おじさんは「アタンデ(待ちなさい)」と、背中を向けた私の肩に手をかけて、引き止めた。驚いて私が振り向くと、「好きなのを選んでいいよ、気に入ったのがあれば持っていきなさい」と言った。おじさんの横で、夫人も大きくうなずいて、私を見つめた。わけがわからず戸惑う私が何の反応も見せずにいると、おじさんは手近にあった売り物のカーキ色のベルトをつかみ、私に差し出した。続いて夫人が、同じく売り物の花柄のスカーフを、恥ずかしそうに私の手の中に押し込んだ。
 「元気を出して」とおじさんが言い、夫人がひかえめに私の背中をたたいた時、私はようやく事態を理解した。

 二人はおそらく、私が「touriste(旅行者)」と言ったのを「triste(悲しい、寂しい)」と聞き違えたのだ。彼らの目には、異国で心細い思いをしている若者として私の姿が映ったのだろう。そして同時に、異国で新たな生活を築こうとする彼らにとって、「triste(悲しい、寂しい)」という言葉は、決して他人事ではない感情として胸に響くものがあったのだと思う。
 私はこの誤りを訂正しなかった。二人に礼を言い、背を向けて歩き始めた私の視界は込み上げてくる涙で、次第にあやふやなものとなった。ほんの通りすがりの人たちのこうしたやさしさに触れ、アダの不在による私の孤独は信じ難いほどに癒されたのだ。

 私は今でも、辛い局面につきあたるたびに、この出来事を思い出す。純粋な善意、やさしさが自分に向けられたこともある、そんな尊い記憶が、人生もまだまだ捨てたものではないという希望に私を向かわせる。パリを去る二日前、私はサン・ラザール駅に足を運んだ。だがそこにはもはや彼らのみずぼらしい屋台はなく、かわりにアラブ人が営む花屋の色彩豊かなワゴンが並び、時折行き交う人々の歩みを止めていた。

 

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2006/01/08

Pepiteの美的な日々:嫌われた贈り物

 我が家の小鳥Capiは、筒状のものに入るのが好き。ある時、ふと思いついてトイレットペーパーの芯を与えてみると(Capiの体のサイズにぴったり)、これがヒット!大喜びで体をすっぽり潜らせ、両端から頭と尾羽だけをのぞかせて、くるくる回る姿がなんともかわいい。気の利いた私の贈り物は、大歓迎されたようである。まずはその姿をご覧いただきたい。
「ma_petite_capi_short.wmv」をダウンロード (画像が悪くてすみません)

 昨年末、大掃除用の洗剤を買いに近くのホームセンターに出掛けた私は、目当ての万能洗剤を見つけて購入し、ここに来たときはいつもそうするように、ペット用品のコーナーに立ち寄った。
IMG_1508  お正月のお年玉に、Capiに新しいおもちゃを買ってあげようと考えた私の目にとまったのは、皿巣(写真)。これはカナリヤや文鳥の巣引き用に使う藁で編み込んだつぼ型の巣だが、小鳥のベッドとして使用している人もいるらしい。Capiはセキセイインコなので、皿巣に馴染まないことを知りながらも、遊びの天才であるCapiなら、うまく活用してお気に入りのおもちゃにしてくれるのではないかと思った。なによりもこの皿巣は、Capiが喜んだトイレットぺーパーの芯に似ていなくもない!藁のつぼから顔をのぞかせるかわいいCapiの姿を想像し、早くも私の顔はやさしい笑でほころび、心は愛しさで一杯になった。

 ところが!!好奇心のかたまりであるはずのCapiが、なぜか皿巣にはまったく寄りつかない。それどころか、皿巣を近づけると怯えて飛び去ってしまうのだ。「そのうち慣れてくれるだろう」という私の望みもむなしく、Capiはいっこうに皿巣には近寄らない。
 最初に考えたのは、この皿巣が、トイレットペーパーの芯とはちがって筒型になっていないのがよくないのではないかということだった。そこで、皿巣の底に穴を開ければ私の望みが叶えられるのではないかと。しかし同時に、そうではないことを私は知っていた。Capiはティッシュの箱の中や棚の隙間などの暗闇に身を潜めることも、筒型の物体に入って遊ぶことと同じくらいに好きなのだ。
 つまり、この皿巣はCapiの好みではなかった。この悲しい事実を受け入れる手前で、あきらめきれない私が試みた数々の涙ぐましい努力はどれも報われず、ついに鳥カゴの近くに皿巣があるだけで、Capiはまったくカゴから出てこなくなった。
 新年の、愛に満ちた贈り物はこれほどまでに嫌われ、部屋の隅に隠されるように置かれた皿巣を目にするたびに私は思うのだった。「これって、他に使い道ある?」

 ところで、前述の年末大掃除のためにホームセンターで購入した万能洗剤は今も未使用のまま。希望者にはポッキリ価格の1000円でお譲りします(定価600円)
 

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2006/01/03

Pepiteの美的な日々:幸せは遠い・・・?

 しばらく前から、ある友人との間でひそかなブームになっている話題は「幸薄顔(さちうすがお)」(幸せに縁遠いような顔立ち)。薄幸(はっこう)なムード漂う有名人などを取り上げて、あれこれと議論するもの。よく話題にのぼるのが、女性陸上選手たち(もっと絞って言うなら、マラソン選手たち)。華やかな活躍にもかかわらず、彼女らの多くはなぜか幸薄顔。美人といわれるA・Yさんでさえ、幸薄顔を見抜くエキスパートである私たちの目には、手の込んだ幸薄顔と映るのです。

 私たちが考える幸薄顔の基準を示すことは困難です。目が・・・で、鼻が・・・で、口元が・・・で、輪郭が・・・というようなことではなく、ただ感覚的に(本能的に、直感的に)薄幸のムードを読み取るだけ。もちろんこれは主観の世界なので、読者の皆さんが思い浮かべる幸薄顔とは異なるのかもしれません。これを機会に皆さんも、幸薄顔ベスト10などを、心の中で組み立ててみてください。
 とはいえ、幸薄顔の人が必ずしも幸福ではないというわけではありません。そんな公式は成り立たないようです。例えば逆の例をあげると、私は(主観によると)幸薄顔ではないのに、めったに幸運には恵まれません!

 友人とそんな話題で盛り上がり、さらに発展させたのが「幸薄(さちうす)の名前」(いかにも幸せに縁遠いような名前)。これは実在の人物などに拘束されず、自由に作ることができる点で大ブレーク!
 ここで私たちが生み出した幸薄名の数々を公開できないのが残念です(公開すると問題になる恐れがあるので)。皆さんも、これぞ!という幸薄の名前を考えて、ひそかに催されている「幸薄名コンテスト」に応募してください。本ブログプロフィールの「メール送信」より受け付けています(締め切りは1月31日、なお審査の結果は公表しません)。

 さて、そんな私と友人が、とある施設の待合室で、自分たちの名前が呼ばれるのをイライラするほど長い時間待っていたときのこと。
 順番を告げる係員が待合室のドアを開け、手に持ったボードを見つめながら呼んだ名に、私と友人は思わず声を上げ(ええっっ!!)、瞬時に目を見合わせて驚きました。
「ウスイサチコさ~ん」
 ウスイ、サチコ・・・・その名がどんな漢字なのか知るすべはなかったにしろ、私たちの頭に浮かんだのは「薄」「幸」。もしかすると臼井佐知子さんだったのかもしれないけれど・・・・。そうだとしても、あまりに悲しい名前・・・。もちろん私たちは、待合室の椅子から立ち上がるウスイサチコさんの姿に注目し、その幸薄度(さちうすど)を確認しました。
 そして・・・納得!

 全国のウスイサチコさん、ごめんなさい。
 そして読者の皆さん、2006年もどうぞよろしく!

 HAPPY NEW YEAR!

 
<付録>
         
 IMG_1498 今日は仲良しの鈴やんと不美人の真由子と私の3人で、京都観光+初詣。神社やお寺を7つほど梯子し(一体信仰は何よ?)、おみくじを引き(鈴やんと私は吉、真由子は半吉)、静かなカフェでゆったりとおいしいコーヒーを味わい、円山公園を散歩しました。
 夕方からはAプロの女優が出演する予定の京都サスペンスのロケ地を下見。そして夜は祇園でリッチなディナーを楽しみ、充実した一日を送りました。(久しぶりに!)

IMG_1501

真由子(左)と鈴やん
(円山公園にて)

IMG_14891

三十三間堂近くの神社(名前忘れた)で、鈴やんと

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