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2005/12/19

Pepiteの美的な日々:草千里(くさせんり)

 それは、満員電車の車両の片隅で揺られていたある日のこと・・・・。扉の前のわずかなスペースに立ち、人ごみに背をむけるように、窓ガラスのほうを向いて、私はせつない思いでS君(ダーリン)のことを考えていた。車窓から、流れる景色を眺めながら・・・と言いたいところだが、すし詰めの乗客と外の低い気温のせいで、窓は真っ白に曇っていて、景色などまるで見えなかった。時折窓ガラスに水滴の細い筋が流れるほどに。
 ともあれ、曇った窓ガラスのせいで景色が欠けていたとしても、ある週末に、私の愛を裏切ったS君への思いを断ち切ることができぬまま、私は恋心を抱き、押しつぶされそうな人ごみの中で、孤独を感じていたのだ・・・・。

 そんな物悲しい私の心とは裏腹に、満員電車の息苦しさなどにはなんの影響も受けていない騒がしい女の子の二人組が、私の背後で学校の話(どうやら女子大生のようだ)、二人のうちの片方が飼っているらしい柴犬の話、友達の悪口など、次々に変わる話題で盛り上がっていた。悲しみに浸る私にとって、いやその他にも人生に疲れ切ったうつろな表情をした多くの乗客にとって、それはなんとうるさい雑音だったことだろう!

 ところが、そのうら若き乙女たちの雑音に、私の意識がふと向けられる瞬間が、思いもよらず訪れたのである。彼女らの話題は、この夏旅行したという九州の思い出に移り、福岡-大分-熊本といったルートで旅したと思われる彼女らは、熊本のある観光地の名を二人とも思い出せずにいたのだ。
kusasenri    「阿蘇山に行く手前にあったあの草原、すごくよかったと思わない?緑が広がってて、池とかもあったし、牛とか馬とかもいたし、あれ、すっごくよかった!癒された~って感じ」と、ひとりが言うと、「あたしもあそこが一番印象に残ってる。ソフトクリームおいしかったし。あれなんていうとこだっけ?」と、相棒。
 「なんだっけ?思い出せそうで、思い出せない。阿蘇山の近くだから、阿蘇草原とか・・・」
 「そんな感じの名前じゃなかったよ。あたしもあとちょっとで思い出せそうなんだけど、あれっ、なんだっけ?気になる~~!」
 「あたしも気になるよ。お願い、思い出してー!阿蘇草原でもないし、熊本草原でもないし・・・、高原かな・・・、ほんと、思い出さなきゃ、すっきりしないじゃん!」

 たまたまその観光地の名前を知っていた私は、恋するS君のことも忘れて、二人の乙女に、私の心の叫びが届くようにと念じた。「草千里、それは草千里よ~!」 
 しかし、残念なことに私は超能力者ではなかった。私の心の中の叫びもむなしく、彼女らは、その名を思い出すことはなかった。こうなると、彼女らよりも私のほうがすっきりしない。私は勇気を振り絞って、「差し出がましいようですが、お嬢さんがた、たった今話されていたことを偶然耳にしたのですが、それはもしや、草千里では?」と言いたくて仕方なかったのだが、慎み深く、内気な私にそんな振る舞いができるわけはなかった・・・。

 うつろいやすく、忍耐に欠ける乙女たちの話題は、いまやちがうところに向かいつつあった。いや、その前にどうしても彼女らにこの地名を思い出してもらわなければならない。それが、たまたま近くに乗り合わせ、彼女らの疑問の答えを知る私の義務ではないかと、生真面目な私は考えた。
 しかし、どうやって・・・・。ふと、目の前の蒸気で曇った窓ガラスの存在が意識に上った。そうだ、これを利用すればいいんだ!内気な私はふるえる指先で、曇った窓ガラスに、波打つような文字で、草千里、と書いた。(私の文字の端から水滴が流れ落ち、それはさながら、オカルト的な様相を呈していた)。
 そして彼女らにその文字が見えるように、窓ガラスの前から少し身を反らし、二人がそれに気づくのを待った。

 ほどなく、「あっ!」という乙女のひとりの驚きの声が耳に届いた。「どうしたの?」と、もうひとりの乙女。「ほら、あれ・・・草せんり!」(二人、爆笑!)

 二人の笑いは時折こそこそ話しに変わりながらも、いつまでも続いていくように思われた。私は自分の義務を果たし、S君のこともしばし忘れ、満たされた気持ちで、電車を降りた。

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コメント

そのS君は、たしかサイレントディールだったよな。
それともシーキングザダイヤだったかな?
どっちか忘れた!!
でも週末に裏切られたということは、中央競馬だから、
やっぱりディールのほうか。
ところでpepiteが満員電車に乗ることなんてあんの?通勤電車なんて無縁のはずだし・・・・

投稿: ミスターX | 2005/12/20 18:47

こんばんは!一緒にカニ食べに行った人です。
美的なものの数々、アドレス教えて貰った時に見たのだけども、コメントの残し方が分からず見てるだけでした~(笑)
S君って、絶対人間じゃないと思ってたらやっぱり違うのね。良かった(笑)
これからも美的なものを楽しみに、お邪魔させていただきますv

投稿: ぴー | 2005/12/20 21:39

すっげぃ!!すっげぃ!!ここ、すっげぃ!!
こんなとこが日本にもあるんだねぇ。

ってか、その電車ネタもすっげぃ!!
なんか、隣人の顔すらも分からない昨今。
心和むネタ…話だよぉ。

ってか、折角オカルトチックになったんだから、
血文字で染めてみてもよかったかもwww

投稿: ダリル | 2005/12/21 01:30

特別返信

というより、これからはブログ内で返信することにします!
というのも、勝手なコメントを残されて、
私のイメージががた落ちになっちゃうじゃない、
このままじゃ・・・
ミスターXさん、そして一緒にカニを食べ、温泉につかったかわいいPさん、どうして私のダーリンを人間じゃないと決め付けるのよ!
せっかく、せつない恋を背景にした美的な物語を書いたのに、S君の正体が競走馬だということになれば、この記事の魅力は半減、というか、ただのギャグになっちゃうよ。
さらにダリルさん、あなたはこの物語を「ネタ」だと思っているようだけど、これは実話よ~。
だから、窓ガラスには血文字を記すことなどできません!!(いくらオカルト的といっても)。
競馬ファンの読者に、誤解のないように言っておきますが、S君は、ミスターXが言うような、サイレントディールでもなければ、シーキングザダイヤでもありません!
サンライズバッカスです!!(怒!)

投稿: Pepite | 2005/12/21 20:54

S君ってサンライズバッカスなのかぁぁ!!!
Pepiteの事だから、主役馬じゃないと思ってたけどね・・・♪
主役って言い方は他の競走馬に失礼か・・・
みんな一生懸命練習してレースに挑んでるんだしね!!
今週、愛馬が中京競馬場に出走予定している。
一応、馬主(一口だけど)なので応援に行って来ようかと思ってる。
最近調子がいいのよ♪(クラスは・・・汗)

投稿: *nao* | 2005/12/21 22:48

草千里は私も修学旅行で一番思い出に残っている場所です。

知らない人でもこっちが知っていると教えてあげたくなりますよね。
でも口では言えないけど、そういう風にガラスに書くなんてなんかいい感じ。
その状況が目に浮かんで思わず微笑んでしまいました。
何気ない日常のひとコマだけど、ステキなお話ですね。

投稿: Diane | 2005/12/22 00:13

naoへ

かつてnaoの愛馬G君と、無謀にも京都競馬場で競走し、負けた私(当たり前じゃ!)。あの直線は長かったなあ・・・。
今週はG君にとって絶好のチャンスだよ。コース巧者だし、勝ち負け必至。応援しに行ってあげたら?私も馬券買いますよ。

投稿: Pepite | 2005/12/23 08:45

Diane様

ようこそお越し下さいました。お茶でもお出ししたいところですが、そうもいかないのが残念です。
ごらんのように、まるで競馬フォーラムのようになりかけたコメントのコーナーで、Dianeさんだけが、的を射たコメントを残してくれ、私の記事を救ってくれました(笑)。
The Gothicのメインはますます幻想的で、かっこよくなりましたね。前のも荘厳な感じが好きでしたが、今回はさらにGOOD!さすが、Diane様!

ところで、お気づきかもしれませんが、このところの一連の記事は、The Gothicの「旅のコラム」の文体や雰囲気を意識して書きました。「爆走ばあさん」がお気に入りであることは前にも言いましたが、その他にも、「幻の村」はいつまでも心に残るすばらしいエッセイだと思っています。またいらしてください。

投稿: Pepite | 2005/12/23 09:04

草千里・・ワタクシも行ったことがございますの。
おうまさんにも乗ってまいりましたわ!

ブログに血文字フォントが欲しい
dekakoでございました。 うふふ

投稿: dekako | 2006/02/21 17:09

草千里で馬に乗ったんですか!
だったらおわかりでしょうが、
草千里の馬は超でかい系です(笑)
相性抜群だったのでは?

投稿: Pepite | 2006/02/22 23:21

ワタクシのでっかいお尻がはみだすことなく
余裕で乗れましたわ!
さすが世界にほこる観光地阿蘇・・・
でっかい体格の外国人観光客にも対応ですわね うふふ

投稿: dekako | 2006/02/24 16:25

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