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2005/11/04

トニオ・クレーゲル(トーマス・マン著)

 「そういうことは、この世では起こらぬのである」

 トーマス・マン(1875-1955)は、長編「魔の山」により、大家たる地位を築いたドイツの作家です。今回は彼の著作の中から、芸術家の自覚に関する悲痛な告白ともいわれる「トニオ・クレーゲル」より、冒頭の文句を抜き出しました。

 16歳のトニオ・クレーゲルは、金髪の美しい少女インゲボルク・ホルムに恋をします。しかしトニオは、幸福で美しいインゲボルクが、自分のように読書に慰めを求め、詩を書く者とは別世界に住む人間であることを感じています。ある日、町の舞踏講習会(舞踏と礼儀作法を教わる)が催され、トニオとインゲボルクは同じ組になります。熱心に陽気に踊っている彼女が、トニオの存在などいっこうに気にかけていないことが、彼の心を一層苦しめます。不器用で、ダンスも満足にできないトニオがミスをすると、広間にいた皆が笑い出します。インゲボルクも同じように笑ったのでした。
 休憩時間になると、トニオはいたたまれなくなって、広間からそっと廊下に忍び出て、外を見るような格好で窓の前に立ち、思いに耽ります。彼はふと、インゲボルクが自分をさがしにやって来はしないかと思うのでした。彼は心の中でインゲボルクに呼びかけます。君は僕がこうして立っている所へ来なくてはならない、僕の肩に手をかけて、広間に戻ってらっしゃい、ね、元気を出して、私はあなたが好きなのですと言ってくれるべきなのだと。しかし彼女が来るはずはありません。「そういうことは、この世では起こらぬのである」。

 トニオは考えます。人が詩人たるのは、「欠乏」を自覚しているからにほかならず、インゲボルクのように美しく、それ自身で充足した存在は、自分から遠く隔たったところにおり、永久に他人でいなければならないのだと。
 美的な存在を愛しながら、自分は決してその領域に足を踏み入れることができぬという絶望。しかし同時に、その欠乏の自覚がなければ、人は詩人にはなれないのです。

 美を描くという作業の裏側には、詩人のみじめな絶望が焼き付けられているのかもしれません。そしてこうした詩人の悲劇こそが、美を最も的確に言い当てることができるのだと、私には思われます。

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コメント

相変わらず陰気くさいわ。せっかくのリニューアルも成果なし、かなっ?またしても誰も見ないHPになりそう。でもあたしは見てるんでがんばって(^0^) 

投稿: りえ | 2005/11/05 01:23

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