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2005/11/05

フランダースの犬(ウィーダ著)

「悲劇の読み方」

 金物商人の荷車をひく労働犬のパトラシエは、酷使され、打ちのめされ、ついに道端で倒れると、足蹴にされたあげくに見捨てられます。死にかけたパトラシエを見つけ、やさしく世話をしたのは、実直な老人とその孫であるネロ少年でした。
 こうしてネロとパトラシエは出会い、生涯かたい絆で結ばれました。けれども一方で、ネロの人生は過酷なものでした。純粋で、正直で、美しい少年であったネロは、周囲の人々の不当な仕打ちにより疎外され、愛する友人とも引き離され、どうにか食べてゆくための仕事さえも失い、彼の支えであった老人の死に直面し、住む家まで無くしてしまうのです。
 この物語の舞台アントワープは、絵画の巨匠ルーベンスを生み出した町でもあります。ネロはルーベンスを崇拝し、自らも絵を描く少年でした。苦境に喘ぐネロの心には、唯一のわずかな希望が残されていました。彼の絵がコンクールで入選し、世間に認められるという夢です。
 けれどもそれは叶いませんでした。少年にはすべてが終わったと感じられます。パトラシエを裕福な家に預け、ネロは立ち去ります。少年が死ぬつもりでいることを、パトラシエは見抜いていました。与えられたごちそうに目もくれず、パトラシエは家を抜け出し、ネロの後を追います。打ち捨てられた自分がネロによって助けられた昔を、決して忘れなかったのです。こうして少年と犬は、教会のルーベンスの絵の前で抱き合ったまま、飢えと寒さにより死を迎えます。

 「フランダースの犬」はテレビアニメで放映されたこともあり、とても有名で人気のある童話です。アニメでご覧になったという方にも、原作である本書の一読をおすすめします。「児童文学」という枠組みを取り払っても、十分に一級品として通用する作品であることは間違いありません。

 私たちが子供の頃親しんだ自国の昔話や物語を思い出すと、そのほとんどが、正しい生き方を示すような教訓に満ちていることに気づきます。例えば、善人と悪人がいて、時に悪人が善人をおとしいれ、幸運をつかみかけることはあっても、結局最後は善人がその性質にふさわしい幸福に恵まれ、悪人は罰を受けるというものです。
 こうした物語は子供に正義と悪を教え、正直に真面目に生きてゆけば、いつかは幸せになれるのだという印象を与えます。つまりこうした物語の目的は、道徳的な心を養うことにあり、その効果を高めるために、作中の<良い人>には幸福が約束されていなければなりません。良い行いをしたことの見返りが必ずあるという仕組みで、子供の心を納得させるのです。
 そうだとすると「フランダースの犬」は、この筋書きから大きく外れた物語ということになります。<良い人>のネロは、どんな苦境に立たされても純真な心を失わずにいるのに、次々と不幸に見舞われ、最後に残された望みも叶わず、みじめに凍えて死んでゆくのですから。(もっとも、この場合ヨーロッパの人々の心にある「最後の審判」は重要ですが、ここでは触れないことにします)。

 人間は、どの国に生まれようと、どんな文化のもとに育まれようと、正義と道徳と教訓に満ちた童話のように人生が成り立つものではないことを、年を重ねるごとに思い知らされるようになるでしょう。
 現に、悪の限りをつくした人物が、子孫を繁栄させ、100歳まで幸福に生きるということもあるし、また、何の罪もない素朴な人物が、ある朝突然、不慮の事故でこの世を去るという理不尽に胸を痛めることもあります。良いことを行えばその見返りがくるとは限らず、善人でいても、生涯不幸から免れられない人生もあります。夢や希望はどんなに努力しても叶わぬことがあり、そしてそれは決して珍しいことでもありません。大人は誰しも、よほどの楽天家でない限り、そうしたことを知っています。

 ヨーロッパ生まれのこの悲劇の物語では、善が幸福をつかむという筋書きが放棄され、運命にさいなまれる人々が、ぎりぎりの苦しみの中でどのように生きるかということが問題にされます。安易な童話にあるような見返りは、ここにはありません。
 真の善良さ、愛ややさしさは、幸福という後ろ盾のないところでも芽生え、生き長らえます。苦悩の極限にあってなお貫かれる善意や愛情だけが、この物語を支えます。たとえ行き着くところが悲しい死であっても、いやむしろそうであるからこそ、彼らの美しい心のはたらきが、道徳的な教訓などを超え、純粋な掛け値のないものとして、いつまでも私たちの胸の内で生き続けるのです。

 

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コメント

ワイルドのドリアングレイの肖像は
どうですか?

投稿: 斉藤 | 2005/11/08 21:04

フランダースの犬の話は100回は聞いたので、今度読んでみようと思います。仮面の告白は、まだ途中です。あ、「春琴抄」ってなんて読むの?それから、このブログ字が多すぎるので専属モデルの写真をもっと増やした方がいいと思います☆

投稿: みみ | 2005/11/12 14:26

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