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2005/11/25

金閣寺(三島由紀夫著)

yukio 「戸を叩きながら、私がどんなにその眩い小部屋に憧れていたかは、説明することができない」

 三島由紀夫の代表作ともいわれる「金閣寺」は、昭和25年7月に実際に起こった、青年僧侶による金閣寺放火事件を題材にしています。といっても、作家はいわばこの事件の外観を借りただけで、そこに自らの美学を注入し、無人の国宝を焼くという愚行を、現実の事件とは違う次元で扱っています。

 放火犯人となる青年僧侶は、舞鶴から東北の日本海に面したうらさびしい岬で生まれます。その岬の寺の住職であった彼の父は、彼が幼い頃から、金閣のことを語ってきかせます。「金閣ほど美しいものは地上にない」という父の言葉や、金閣というその字面が呼び起こす荘厳なイメージから、少年の心は幾重にも美しい金閣を想像し、やがてはその美を途方もないものとして描き出します。こうして成長した少年は、金閣を最高の美と位置づけ、美しい風景や麗人を見るときでも、<金閣のように美しい>と形容するようになるのです。
 病身の自分の命がもう長くないことを悟った父は、旧友である金閣の住職を訪ね、息子の将来を託します。父に同行した息子は、この時初めて現実の金閣を目にします。そして自分が心の中で育ててきた完全な金閣と、現実の金閣との間に隔たりを感じたのでした。彼は本物の金閣に失望したのですが、故郷へ戻ると、彼の心の中で日毎に金閣がその美しさを蘇らせます。「夢想に育まれたものが、一旦現実の修正を経て、却って夢想を刺戟するように」なり、彼にとって金閣は絶対の美として、君臨することになるのでした。

 修行僧として金閣のかたわらで過ごすようになった青年は、日々金閣の美しさを眺めながら、自分が美というものから疎外された存在であると痛感します。醜く、吃音障害を持つ彼は、およそとりえのない人間と自分を感じ、劣等感に悩まされていました。
 「金閣(美)が向こうにおり、私がこちらに居る」。それは青年にとって変えがたい事実であり、絶望でもありました。
 しかしこの望みのない事態が、戦争により急激に変化します。明日にも京都が空襲を受け、自分を焼き殺す火が同時に金閣をも焼くかもしれぬと彼は考えます。金閣と自分の間に共通の危難があることが彼を励まし、自分というつまらない存在と「美」とを結ぶ媒立(なかだち)を見出したことに、彼の心は酔いしれます。「同じ禍い、同じ不吉な火の運命の下で、金閣と私の住む世界は同一の次元に属することになった」と感じる彼にとって、戦争が続く間は「金閣を私と同じ高さまで引き下げ、そういう仮定の下に、怖れげもなく金閣を愛することのできた時期」でした。

 京都は空襲を免れ、終戦をむかえます。金閣と彼を結んでいたものは失われ、またもとの事態に逆戻りします。すなわち「金閣が向こうにおり、私がこちらに居る」という変わらぬ事態。しかし一度夢見てしまった以上、それは元よりさらに耐え難い事態でした。
 それ以後、金閣はあらゆる場面で彼の人生に立ちはだかります。彼が女と交わろうとするときにも金閣が現れ、邪魔をします。「そのとき金閣が現れたのである。威厳に満ちた、憂鬱な繊細な建築。剥げた金箔をそこかしこに残した豪奢の亡骸のような建築。近いと思えば遠く、親しくもあり隔たっている不可解な距離に、いつも澄明に浮かんでいるあの金閣が現れたのである。それは私と、私が志す人生との間に立ちはだかり、はじめは微細画のように小さかったものが、みるみる大きくなり、(略)私をかこむ世界の隅々までも埋め、この世界の寸法をきっちり充たすものになった」というふうに。
 彼はついに自ら作り上げた金閣という美の幻影を、現実の金閣もろともに焼き払う決意を固めます。

 金閣を焼くことによって、彼には自分の内界と外界とがつながるように思われたのでした。そしてこれまでとは違った世界が眼前に開けてくるのだと。
 金閣を焼く炎が彼の背後に迫ったとき、彼の脳裏には、自らもこの火に焼かれて究竟頂(くきょうちょう)で死のうという考えが突然生じます。
 究竟頂とは、金閣の最上階にある、隈なく金箔が張りつめられた美しい小部屋のことです。究竟とは、絶対にして最上、最後に到達する場所という意味を持ち、いうなれば、金閣の心臓部ともいえる空間です。
 金閣という美の幻影に囚われた青年僧侶は、金閣が内包する最も美しい小部屋で、金閣と共に死ぬことを欲します。
 しかし、究竟頂の扉は開きませんでした。
「戸を叩きながら、私がどんなにその眩い小部屋に憧れていたかは、説明することができない」。
 
彼がどれほど激しく叩いても、その扉は固く閉ざされたままでした。彼は金閣に拒まれている自分を明確に意識します。金閣は炎に包まれ燃え滅びながらも、彼を拒んだのです。

 こうした事件の外観だけを眺めれば、無人の国宝を焼くといった愚行に、人々は何の共感も抱かないでしょう。歴史的建造物の美が、そこまで一人の人間の心を支配するということ自体が、現実的な感覚からは遠く隔たった観念の世界のように感じられます。事実、この小説は三島が全精力を尽くして描いたものであるにもかかわらず、文壇の一部では、思想小説に至らなかった「観念小説」にすぎないという見方もあります。そして私自身もまた、そのように考える一人です。
 けれどもそうした評価が、私にとって「金閣寺」という小説の価値を低めるものではありません。三島由紀夫が言葉の限りを尽くして構築した観念の美の世界は、一見そこに誰もが共感し得る人間性が欠如しているように見えたとしても、少なくとも私の生は、深いところでこの悲劇に同調し、空虚に近い悲しみを、愚かな主人公と同様に感じなければならなかったからです。
 人は誰しも、心の中に自分の「金閣」を持っているのかもしれません。自らの乏しい力や魅力では到達し得ない何か。それが何であれ、自分とはかけ離れた何かを、空想の内で自分に近づけ、引き寄せようとするむなしい試み。そしてその夢が破れ、さめざめとした現実に向き合わなければならぬという絶望。
 こうした愛や悲観、絶望に「金閣」は少しも影響されません。「金閣」は炎に包まれながらも、その美を損ないません。燃え滅び、崩れ落ちながら「金閣」は毅然とした態度で、みじめな存在が生涯を賭けた愛を、拒み続けたのです。
 
      
                                    哀悼の意をこめて。
 
 
 三島由紀夫は1970年11月25日自衛隊市ヶ谷駐屯地東部方面総監室にて自決。
 その凄惨な死より今日で35年をかぞえる。

関連記事:The other side of life(三島由紀夫に捧げる)

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THE OTHER SIDE OF LIFE (HARTANI著)

                       THE OTHER SIDE OF LIFE
               
<三島由紀夫に捧げる>

               
                     空っぽの私
               愛も無く
               明確な明日も無く
               日がな一日
               働く

               無意味な慰めを見つけては
               生き延びる
               夥しい時の堆積に
               身を埋める

               ちっぽけな私の世界

               幻想も幻影も
               受け入れる
               この胸が耐え得る限り

               偽りも現実も
               空虚も平静も
               喜びさえも
               見境のないこの世界

               幸運は尽き
               古びたカードの切り札は踏みにじられる
               工夫を凝らした
               悲しい楽園の
               終末

               渇望が私を蝕む
               与えられるものと
               与えられないものとの区別を
               拒み続けるからだ
               最も凡庸でいながら
               特異な衣装で欺く
               底の知れた乾いた土地の
               不毛なる豊穣

               もう一度立ち上がる力を
               生に向けて開かれる心を
               泥に浸かった靴を脱ぎ捨てて
               すべての過去に決別し
               新たな一日に踏み出す力を私に

               幻影が舞い
               愛を呼び覚ます
               始まりも終わりもないこの世界で
               私は崩れ落ちる 

                                                                               HARTANI
                                                                               (
訳:ABE)

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2005/11/14

美少年ナルシスの神話(オウィデウス著)

 「水面に手をのばせば、影はこわれる」

 ローマの詩人オウィデウスの「変身物語」の中で、ナルシス(ナルキッソス)という美少年が水仙の花と化す話が綴られています。ナルシストという言葉の語源となった神話です。
 
 河神ケピソスと妖精レイリオペの間に生まれた美少年ナルシスは、自分の美しさに自惚れて、16歳になっても若い娘たちに目を向けることはありませんでした。
 ナルシスに恋をした妖精エコーは、報われぬ思いに体が痩せ細り、骨は石となり、声だけが残って、ついにはこだま(エコー)になってしまいます。自惚れの強いナルシスに怒った妖精たちは、ナルシスが誰かに恋をし、そしてその恋が実りませんようにと、復讐の女神に願うのでした。
 妖精たちの願いは復讐の女神にきき届けられます。ある日、ナルシスが喉の渇きを癒そうとして、泉のほとりで身をかがめたとき、水面に映った自分の姿に見とれ、魅せられてしまいます。自分の影を実体と思い込み、恋をしたのです。こうして幾日も泉のほとりで見とれるうちに、ナルシスは力尽き、最後には白い花びらにまわりをとりまかれた黄色い水仙の花と化してしまったのでした。

 水面に映った自分の姿に、それとは知らず恋をしたナルシス。自らの影を慕ったナルシスには、接吻することさえも許されません。水面に手をのばせば、影はこわれてしまうからです。彼にできるのは、ただ見つめること、注視することのみ・・・・。
 この完全な純潔、完全な孤独が、ナルシズムの宿命です。そしてナルシスの清らかな不毛は、水仙の花と化すことにより、永遠になるのです。

 もしもナルシスが泉を離れ、歩き始めたとすればどうなっていただろうかと、私はしばしば考えます。自らの姿を映す泉の鏡がなければ、彼は自分に似た美少年を愛したかもしれません。そうだとすれば、今の世でも美貌を誇るファッションモデルなどに、同性愛者が多いことに納得がいきます。彼らは泉を離れて歩き出したナルシスなのでしょうか。
 いずれにせよ、男色が盛んであったギリシャ・ローマのヘレニズム文化の時代は、鋭い洞察で、申し分ない美少年の本質的な悲劇を抽出するのに、可能な背景を持ち合わせていたことに疑う余地はないようです。

 また別の局面では、現代社会の深刻な問題として、自己愛人格障害などの<ナルシズムの病理>を思い出さずにはいられません。これについてはここで詳しく述べることはできませんが(「書籍」で紹介した心理学の本を参考にしてください)、ナルシズムの病理もまた、ナルシスが泉を離れて歩き出した結果と言えるのかもしれません。
 しかし神話は、美少年ナルシスを、現代社会に蔓延するナルシズムの病理にみられるような不快な人間にはしませんでした。純潔と孤独の中にナルシスを閉じ込め、永遠なる清らかな不毛を与えたのでした。
 
 ナルシスの完全な純潔を美ととるか、あるいはナルシスの不毛な生のむなしさをどう捉えるかなどといった議論は、私にはどうでもよいことに思われます。そうした問いへのすべての答えには、何ら意味はないからです。私が美少年ナルシスを思う時、そこにはただ、純潔と孤独、清浄さと不毛があるのみです。

続編(2006年3月9日記事)「花になった美少年たち」

 

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2005/11/13

小鳥を愛する私の悲劇(Pepite)

ma_petite_capi_1 「永遠の片思い」
       
 私がこよなく愛するものは小鳥です。ちなみにPepite(ペピート)という名前は、はじめて自分で育てた小鳥の名を借りたものです。
 写真をご覧になってください。なんという愛らしさでしょう!(親バカ)。小さな翼を持つ愛鳥Capiが遊び疲れて、ぬいぐるみの腕の中で眠っています。私とはまったく異種の小さな生き物が私と一緒に暮らし、私を信頼してくれていることに、時折心がふるえるほどの喜びを感じます。それが一種の奇蹟のように思えるのです。今もこうして私がパソコンに向かって記事を書いている間、いたずら好きな女の子のCapiは、私のシャツの胸ポケットにいます(不始末な糸くずを噛んで遊ぶのが目的のようですが)。

 小鳥を愛するということは、その愛にとって、ひとつの試練です。私は人間なので、愛するCapiを抱きしめたくなります。この手に包んで、頬擦りしたくなります。それが人間の愛情表現だからです。けれども草食の小動物であるCapiは、当然、体を触られることを嫌います。どのみちわずか30グラムほどの小さなCapiを、抱きしめることはできません。
 私は身内に溢れる愛情にむせかえりながら、ただCapiを肩に乗せ、自由に遊ばせておくだけです。その目を見つめて、やさしく話しかけるだけです。これが人と小鳥の愛の形なのです。

 小鳥を飼ってから(つまり愛の試練に耐えるようになってから)、私はそれまでよりもずっと愛情について考えるようになりました。利己的な私は小鳥たちとのかかわりの中で、他者を愛する心(互いの違いを認め、理解し、思いやる心)をようやく持つことができたように思います。もちろん、小鳥たちが、私が彼らを愛するように私を愛してくれることはありません。彼らと私はまったく違う種類の生き物だからです。別の言い方をすれば、私が人間だからこそ、彼らを深く愛することができるのです。
 私といることに飽きたCapiは、カゴに帰っていきました。Capiも私が大好きですなんですが、いつも私のほうがCapiを余計に愛していることを思い知らされます。そしてそばに小鳥がいる限り、私のこんな片思いは、いつまでも続いてゆくのでしょう。

小鳥を愛する私の悲劇・2
嫌われた贈り物

 

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2005/11/05

フランダースの犬(ウィーダ著)

「悲劇の読み方」

 金物商人の荷車をひく労働犬のパトラシエは、酷使され、打ちのめされ、ついに道端で倒れると、足蹴にされたあげくに見捨てられます。死にかけたパトラシエを見つけ、やさしく世話をしたのは、実直な老人とその孫であるネロ少年でした。
 こうしてネロとパトラシエは出会い、生涯かたい絆で結ばれました。けれども一方で、ネロの人生は過酷なものでした。純粋で、正直で、美しい少年であったネロは、周囲の人々の不当な仕打ちにより疎外され、愛する友人とも引き離され、どうにか食べてゆくための仕事さえも失い、彼の支えであった老人の死に直面し、住む家まで無くしてしまうのです。
 この物語の舞台アントワープは、絵画の巨匠ルーベンスを生み出した町でもあります。ネロはルーベンスを崇拝し、自らも絵を描く少年でした。苦境に喘ぐネロの心には、唯一のわずかな希望が残されていました。彼の絵がコンクールで入選し、世間に認められるという夢です。
 けれどもそれは叶いませんでした。少年にはすべてが終わったと感じられます。パトラシエを裕福な家に預け、ネロは立ち去ります。少年が死ぬつもりでいることを、パトラシエは見抜いていました。与えられたごちそうに目もくれず、パトラシエは家を抜け出し、ネロの後を追います。打ち捨てられた自分がネロによって助けられた昔を、決して忘れなかったのです。こうして少年と犬は、教会のルーベンスの絵の前で抱き合ったまま、飢えと寒さにより死を迎えます。

 「フランダースの犬」はテレビアニメで放映されたこともあり、とても有名で人気のある童話です。アニメでご覧になったという方にも、原作である本書の一読をおすすめします。「児童文学」という枠組みを取り払っても、十分に一級品として通用する作品であることは間違いありません。

 私たちが子供の頃親しんだ自国の昔話や物語を思い出すと、そのほとんどが、正しい生き方を示すような教訓に満ちていることに気づきます。例えば、善人と悪人がいて、時に悪人が善人をおとしいれ、幸運をつかみかけることはあっても、結局最後は善人がその性質にふさわしい幸福に恵まれ、悪人は罰を受けるというものです。
 こうした物語は子供に正義と悪を教え、正直に真面目に生きてゆけば、いつかは幸せになれるのだという印象を与えます。つまりこうした物語の目的は、道徳的な心を養うことにあり、その効果を高めるために、作中の<良い人>には幸福が約束されていなければなりません。良い行いをしたことの見返りが必ずあるという仕組みで、子供の心を納得させるのです。
 そうだとすると「フランダースの犬」は、この筋書きから大きく外れた物語ということになります。<良い人>のネロは、どんな苦境に立たされても純真な心を失わずにいるのに、次々と不幸に見舞われ、最後に残された望みも叶わず、みじめに凍えて死んでゆくのですから。(もっとも、この場合ヨーロッパの人々の心にある「最後の審判」は重要ですが、ここでは触れないことにします)。

 人間は、どの国に生まれようと、どんな文化のもとに育まれようと、正義と道徳と教訓に満ちた童話のように人生が成り立つものではないことを、年を重ねるごとに思い知らされるようになるでしょう。
 現に、悪の限りをつくした人物が、子孫を繁栄させ、100歳まで幸福に生きるということもあるし、また、何の罪もない素朴な人物が、ある朝突然、不慮の事故でこの世を去るという理不尽に胸を痛めることもあります。良いことを行えばその見返りがくるとは限らず、善人でいても、生涯不幸から免れられない人生もあります。夢や希望はどんなに努力しても叶わぬことがあり、そしてそれは決して珍しいことでもありません。大人は誰しも、よほどの楽天家でない限り、そうしたことを知っています。

 ヨーロッパ生まれのこの悲劇の物語では、善が幸福をつかむという筋書きが放棄され、運命にさいなまれる人々が、ぎりぎりの苦しみの中でどのように生きるかということが問題にされます。安易な童話にあるような見返りは、ここにはありません。
 真の善良さ、愛ややさしさは、幸福という後ろ盾のないところでも芽生え、生き長らえます。苦悩の極限にあってなお貫かれる善意や愛情だけが、この物語を支えます。たとえ行き着くところが悲しい死であっても、いやむしろそうであるからこそ、彼らの美しい心のはたらきが、道徳的な教訓などを超え、純粋な掛け値のないものとして、いつまでも私たちの胸の内で生き続けるのです。

 

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2005/11/04

トニオ・クレーゲル(トーマス・マン著)

 「そういうことは、この世では起こらぬのである」

 トーマス・マン(1875-1955)は、長編「魔の山」により、大家たる地位を築いたドイツの作家です。今回は彼の著作の中から、芸術家の自覚に関する悲痛な告白ともいわれる「トニオ・クレーゲル」より、冒頭の文句を抜き出しました。

 16歳のトニオ・クレーゲルは、金髪の美しい少女インゲボルク・ホルムに恋をします。しかしトニオは、幸福で美しいインゲボルクが、自分のように読書に慰めを求め、詩を書く者とは別世界に住む人間であることを感じています。ある日、町の舞踏講習会(舞踏と礼儀作法を教わる)が催され、トニオとインゲボルクは同じ組になります。熱心に陽気に踊っている彼女が、トニオの存在などいっこうに気にかけていないことが、彼の心を一層苦しめます。不器用で、ダンスも満足にできないトニオがミスをすると、広間にいた皆が笑い出します。インゲボルクも同じように笑ったのでした。
 休憩時間になると、トニオはいたたまれなくなって、広間からそっと廊下に忍び出て、外を見るような格好で窓の前に立ち、思いに耽ります。彼はふと、インゲボルクが自分をさがしにやって来はしないかと思うのでした。彼は心の中でインゲボルクに呼びかけます。君は僕がこうして立っている所へ来なくてはならない、僕の肩に手をかけて、広間に戻ってらっしゃい、ね、元気を出して、私はあなたが好きなのですと言ってくれるべきなのだと。しかし彼女が来るはずはありません。「そういうことは、この世では起こらぬのである」。

 トニオは考えます。人が詩人たるのは、「欠乏」を自覚しているからにほかならず、インゲボルクのように美しく、それ自身で充足した存在は、自分から遠く隔たったところにおり、永久に他人でいなければならないのだと。
 美的な存在を愛しながら、自分は決してその領域に足を踏み入れることができぬという絶望。しかし同時に、その欠乏の自覚がなければ、人は詩人にはなれないのです。

 美を描くという作業の裏側には、詩人のみじめな絶望が焼き付けられているのかもしれません。そしてこうした詩人の悲劇こそが、美を最も的確に言い当てることができるのだと、私には思われます。

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オフィーリア(ウィリアム・シェイクスピア著「ハムレット」)

「時空を超える悲劇の美」

Shadow 19世紀末のヨーロッパでは、シェイクスピア劇「ハムレット」に登場する少女オフィーリアの悲劇の死の場面が、多くの画家によって描かれました。
 オフィーリアは、愛するハムレットの手により父が非業の死をとげたことを知り、心を狂わせます。父の葬式の花だといって宮廷の貴婦人たちに花をくばったり、恋の歌や死の歌、あるいはまったく意味のわからない歌をうたいながら、歩き回ったりしました。
 そして小川のほとりでのこと。一本の柳の木が斜めに生えていて、その葉を水面にうつしていました。ある日オフィーリアが、雛菊といら草で作った花輪を柳の枝にかけようとしてよじ登ったところ、枝が折れ、美しいオフィーリアも花輪も、そしてその他に彼女が集めた花々も、まっさかさまに水の中に落ちてしまいました。

 「水に漂う少女のなきがら、それを埋める花々、深く静まり返った世界を覆うのは、悲劇的でありながらも甘美な雰囲気」(本田和子著「消え行く少女たち」)と言われるように、オフィーリアの死は、画家たちの美意識に強く訴えたようです。

 若く美しいままに生涯を終える少女、いうなれば<永遠の美少女>への憧れは、世界中のあちこちで古くから語り継がれ、あるいは文書に残されています。美を永遠にとどめておきたいという願望は、時間への挑戦です。これまで多くの芸術家や夢想家たちが、不滅の時間に挑戦し、そのかけらを勝ち取ってきました。かくして悲劇の美少女は、永遠に美少女であり続けるという特権を身に纏ったのです。

        (映像は専属モデルMimiのグラフィック「shadow」より/Pepite-work)

 

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春琴抄(谷崎潤一郎著)

「お師匠様、私はめしい(盲目)になりました。もう一生涯、お顔を見ることはござりません」 

 美は自らを語ることはしません。美を語るのはいつでもそれを見つめる者です。そしてその者は、対象となる美しさにふさわしい地位を与える役割を果たします。美を決定づけるのは、その美しさを「見つめる者」と書きました。しかし今日とりあげた谷崎潤一郎の「春琴抄」の一節は、その定義からすると、逆の様相を呈しています。

 この物語は、端麗にして高雅な容貌の女性、三味線師匠春琴に、ひとりの男が捧げた究極の愛の形を描いています。幼い頃から奉公人として、献身的に春琴に付き添ってきた佐助は、やがて春琴にとってもかけがえのない存在となっていきます。ある日、いまわしい事件により、春琴が顔に大火傷を負います。繊細で美しかった春琴の顔は醜く焼けただれ、回復の見込みもありません。そこで佐助は自らの目を針で突き、盲目となって、春琴の美を永遠に保持することを選んだのでした。冒頭に記したのは、そのときの佐助の言葉です。

 もはや見つめないことによって、その美を証明する。陶酔の世界に踏み込んだ愛の、恐ろしい、そしてそれだけに美しい悲劇です。

 谷崎潤一郎は明治19年に生まれ、その晩年まで(没昭和40年)近代日本文学の耽美派を代表した作家です。「春琴抄」は昭和8年の中央公論6月号に掲載された小説です。

 

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